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E Dの続きで不思議な助けについて
五下り目 二ツ ふしぎな助けはこの所 帯や疱瘡の許し出す
人間甘露台の所(神一条教)は助け道明けとしておびやほうそう特に許して不思議な御自
由用を頂く。はしかなどは三日ばしかで良くなっています。特に子育てはとても楽でした
とお聞きています。心当たるの有る方はどうぞお試し下さい。
六号 105 いまゝではやまひといへばいしやくすり みなしんぱいをしたるなれども
今迄は病気と言へば 皆心配して医者、薬と言うたが
106 これからはいたみなやみもでけものも いきておどりでみなたすけるで
此からはどんな身上も息手おどりで皆助けて下さる。
注 神一条は息のお助けである。手おどりとは(甘露台お願いつとめの事)
107 このたすけいまゝでしらぬ事なれど これからさきはためしゝてみよ
このお助けは今迄誰も知らぬが助かるか、助からぬかためしてみよ
108 どのよふなむつかしくなるやまひでも しんじつなるのいきでたすける
どんなむずかしい身上、事情でも神一条では皆助かっている。
注 (人間)甘露台本授けであるから天理教は九柱で三 三 三の九の理、
十柱揃っておらず仮授けである。
109 月日よりしんじつ心みさだめて いかなしゆごもするとをもへよ
人間甘露台にしっかりすがったらどんな御自由用も頂ける。
注 天理教では御教祖様は医薬を不必要などと説かれた事はないと言って病院を建てたりしているが御教祖様七十八才の時にお出し下された泥海古記に「今迄は医者も薬も人間の修理肥に拵へ有った。是からは(人間甘露台が出て来たら)医者も薬もまじないも拝み祈祷や占いや是れ人間の恩の報じ場。神様のお話聞いて思案して真実叶うた事ならば何叶わんと言う事はなけれども心違いは薬のむなり」又医者の手あまり神が助けると仰せ下さってあります。
110 うまれごにほふそはしかもせんよふに やまずしなずにくらす事なら
人間甘露台はお産、はしか、ほうそうをおみやげに持って出現している。
注 神一条ではどんな難産と言われても帯屋を受けた人は皆安産している。
111 しかときけいかなじうよふするとても 月日の心ばかりなるぞや
どんな御自由用も皆月日親神様のおかげである。
112 いままでもたいてくどきもとひたれど まだゆいたらんつきひおもわく
113 このたびはなにかつきひのざんねんを つもりあるからみなゆふておく
112・113 今迄くどうくどう説いて来たがまだまだ皆なが分らんから月日の残念を皆言 っておくから承知しておけ。
注 神様は一日なりと日をのばし一人でも助けてやりたいお心である。
114 このところたすけいちじよとめられて なんでもかやしせずにいられん
神の思惑は世界助けである。苦労してつけられた人間甘露台を止められてはかやしを せずにいられない。
115 このかやしたいしや高山とりはらい みな一れつはしよちしていよ
神のかやしとは(人間)甘露台世界にするから承知していよ。
116 このはなしなんとをもふてきいている てんか火のあめうみはつなみや
天災地変にて神の残念をはらすと日をのばしてことわりを言っておられるのに人間 はなってみないと分からない。
117 こらほどの月日の心しんじつを せかいじゆうはなんとをもてる
これほど神様は一人でも多く助けてやりたいと思って居られるのに世間の人は信じ ない。
118 だん\/とくどきなげきはとくけれど しんじつなるの心たすける
神様は一烈人間の事を思うてくどいたり、なげいたりしておられるが神の思惑が分 かり人間甘露台にすがったらどんな天災地変も御守護頂ける。
119 どのよふなものも一れつわがこなり 月日の心しんぱいをみよ
神は「十本の指どの指かんでも痛かろう」とどの子も助けてやりたい、いっぱいで 心配しておられる。
120 このよふは一れつはみな月日なり にんげんはみな月日かしもの
此の世の中の物は一切月日がお造り下されたもので、人間も自分の身体は自分の物 と思っていますが、皆神様からお借りしているので心だけが自分の物であります。
証拠に一ツ神様に押へられたら手も足もいくら自分が動かそうと思っても動かす事 は出来ません。
121 せかいぢうこのしんじつをしりたなら ごふきごふよくだすものはない
世界中の人がこの事を知ったら自分勝手の事をする者が無くなる。
122 こころさいしんじつよりもわかりたら なにもこわみもあぶなきもない
息一すじ身上借物の事が分かり真実の親である人間甘露台にすがったら何の心配も ない。(安心立命の道あるから)
123 月日よりをしへる事はみなけして あとはにんげんこころばかりで
人間甘露台の言う事をきかず人間方法手段で通っている。
十二号 四月二十四日 お書取 二十四日とは大正九年より昭和十九年
44 いままでにふでにつけたることわりが さあみえてきたこころいさむで
45 これさいがみえきたならばいちれつは どんなものでもよふきづくめや
46 このこころどふぞはやくにいちれつは しよちしてくれつきひたのみや
44〜46 今迄に事細かく順々に言うて来た事がその通り見えてきたからどんな者でも とくしんして用木になってくれる様月日が頼んでおられる。
注 昭和十九年に嘉永六年教祖雛型通り 台五十六才 夫六十六才死亡
二代本席として名を上げた。
五月十一日 お書取 五月とは立教百年より五年目 昭和十六年
十一日とは昭和七年(人数もようの年)より十一年目
47 けふからはめずらしことをいいかける なにをゆふともちよとにしろまい
48 このはなしなにをゆてもそむくなよ 神のおもわくゑらい事やで
47・48 今日から三教一ツのめづらしい話をするが神の思惑であるから聞く様に。
49 これからのあとなるはなしやまやまの 神のざんねんはらすもよふを
これからは神の残念を晴らす話をする。
50 このさきはなんぼむつかしやまいでも いきておどりでみなたすけるで
51 どのよふなむつかしくなるやまいでも これなをらんとゆふでないぞや
50・51これから先は医者の手余りでも息と甘露台つとめで皆助けて下さる。
52 けふまではひがらこくげんきたらんで なにかちがいもありたなれども
今日迄は旬刻限が来んので天の思惑にそわなんだ事もあるが
53 だんだんといかなことをもといておく どんなことでもちがうことなし
人間甘露台が出て神の思惑を聞かせて下さったらどんな事も違う事はない。
おふでさき・おさしづの通りでしたら疑う事もないと思いますがさて、貴方は如何思われ
ますか。心次第のこの助けですからもう私は良いわ〜と思われるのでしたらそれで良いで
しょう、無理押しは致しません。 神の望みは我が身どう成ってもと言う精神でしょう。
淡路阪神の震災の時、神一条の信仰者は人数は少ないですが誰一人かすり傷一つ負わなか
ったです。日本小国少人数と言いますから信仰者は少ないのは当然でしょう。
ユダヤ教にはパスオーバーと言うお祭りがあります。過ぎ越し祭と言います。
これは神一条教のひな形です。そのまま受け継いでいますから大難は小難に小難は無難に
お連れ通り頂く事が出来ます。 むほん払い、風除け(台風)雨預けなど甘露台授けつと
めのお陰で避けて頂いています。 神一条教の信仰者は悪難除けの守りを受けているから
無事に過ぎ越して頂いています。 おさしづでは明治三十三年一月四日 4・5頁
P3706・3707に書いて有ります。紹介しましょう。・・・・尋ねたら心という理を以て、
多く處いろ\/理以て防がにゃならん\/。無い道始め掛ける。怖わいような事は無い。
怖わいような心で、末代という道通れん。百年先の道、今日始めるも同じ事。この心持っ
て、臨機応変と諭したる。萬人の中一人以て防ぐは神の力、神の理。と仰せ有りました。
『萬人の中一人以て防ぐは神の力』とは人間甘露台親様の事です。神の方には倍の力をと
仰せ有ります通りです。実感しています。よって神一条は安心立命です。
甘 露 台 は 人 間 で あ る 事 の 確 か な 証 拠 は
№6№5資料,諒簑 投稿者:安達 投稿日:2007年 4月 2日(月)16時59分15秒
再度ご確認下さい。
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