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№21神一条 よりその 3

 投稿者:安達  投稿日:2007年 6月15日(金)23時54分31秒
     神一条その3

明治二十三年六月二十一日旧五月五日このおさしづの年限は大正元年より昭和三十六年の

お言葉であります。「前略」神一条の道は、心の理を持ってするから、入りくる、出て来

るも、これまでの処、並大抵な道じやなかった、「中略」神一条の道は、皆兄弟、因縁の

理、神一条の道は、神屋敷、鏡屋敷と云う、何年以前、始めかけ、体内に宿る迄に話した

る真柱、又一ツ筆にしるして充分に知らしてある所もある。この事情と云うは深き因縁い

んねん。充分の理に治まりたる処、まだ、後あと事情、因縁は親族なればよう聞き分け、

世界の理を持っておれば親族と云うては、神の道とは云おうまい。 又次に

    明治二十三年六月二十九日旧六月十三日
「前略」神一条の理に基ずいてやらねば指図したとは云はん、指図を聞いて途中心に関と

云う垣を拵らへてはどうもならん。そこで大工々々と云う、大工一ツ事情、道具にもたと

え、人夫にも諭したる。大工一ぎの咄と云ふ、又人夫とも云う。雇い入れとも云う。伏せ

込み大工とも言う。伏せ込んだ大工は一人丈のことこれよう聞き分け。万事の止めに出て

ある。よろづの止めに出してある。それに尋ねてするのはこれ迄の通り直したる物をとん

とんと、つく様な、腹がへってはまま喰べようと云えば、さあ喰べようかというようなも

のや。これまでの理はすっきり受け取ったで、人間の心はどうもならん。後あとの理は可

愛想や、寄ってくれぐれも、悟しておく、これから仮屋を始めるで、仮屋より本普請続き

になる。そんな小さいものやない。  天理教本部では本普請は出来んと云うことは年限

の理によって台をかえて風をかえて出て来るのであります。神の仰せには「何時まで見合

わせ至るとも内からするのやない」と仰せられてあります。百日さしづに「皆道は継ぎ目

あるで、継ぎ目知らずになんとぼけている、教祖の道内から潰している」と示しあります。

又次に明治二十二年十二月二日お指図に教祖存命でした理と云うものは学問や智者から出

来た理やない、うっかり思うては何処でどう云う事あるとも分らん。 又次に

   明治三十六年八月二十二日おさしづの中に
「前略」教祖の理写して理をはくは一人である程によう聞き分け、なってしもうてからは

取り返し出来ん。又次に
   明治二十一年十二月二十日おさしづに

「前略」この一ツ理と云うは何の事か、神一ツの理知らず、因縁屋敷の理知らず土地の理

なれば昔からも同じ事、伏せ込みの理、年限の理、心澄ました理。 又次に

   明治二十四年五月十日おさしづに
「前略」何時までも地場はどこなりと許す。とありますのは甘露台の身体を地場と言うてあります。

   明治三十一年七月十四日
「前略」甘露台は何時のことと思う。勤め一条の台にもつとめているやろう。なれど何や

ら分らん。「中略」三十年の間がある(大正元年より昭和十六年)もう五年五年の十年の

間がある。(昭和十七年より昭和二十六年まで)十年の年限ありて元を聞き分けるものな

い。(昭和三十六年の最後の吉祥の一日に日)

     御神楽歌の八社様には
     この処やまとの地場の神型と  云うて入れども元知らん

御教祖様は理振りと申されて間違えば寿命と引きかえと申された程の今度の甘露台の普請

であるからこの理が分らねばどうもならん。

   この元を詳しく聞いた事ならば    如何なものでも恋しなる

   聞きたくば尋ね来るなら云て聞かす  よろづいさいの元のいんねん

この御歌は御筆先の一号四、五、六に出てあります。  次に

   明治二十一年六月二十三日旧五月五日
「前略」この処、一ツ悟しの処、これ助けたい一条で、天降る処分らんから、これまで年

限の道と云ふは神一条、世界の処は道理上、世界では同じ道運ばねばならん。胸の内一ツ

をもってかゝる。難しい事でも通れる。まあ一日の処にても、一寸通らねばならん、

甘露台一ツ人間定めてある。何でも一日ある。楽しみあると云うことを治めて貰いたい。

  次に明治三十一年七月十四日夜
「前略」勤め場所つとめ場所、よう聞き分け、何やら分からん。勤め場所は世の元と云う

「元治元年夫婦揃うてこれが勤め場所の世の元であります」世界今はみんな耳に聞いてい

る。この元小さいものやと云ふ。それから順序と云う。隠れはしり年限と云ふ。ひな型通

りに、神一条ぢば定め事情
   御神楽歌三下り目「元治元年の事」

一ツ 日の本庄屋敷の勤めの場所は世の元や

二ツ 不思議な勤め場所は誰に頼みはかけねども

     十一下り目の 雛型通りに

一ツ 日の本庄屋敷の神のやかたの地場定め

二ツ 夫婦揃うて日の寄進これが第一もの種(◎)や

百日指図に中にもう一度チヨンの始めすると仰せ下されたのは人間甘露台の本普請のチヨ

ンの始めをすると云う事を書き残し下されてあります。  指図の中に

『盛んなる事情を押さえて神の理、何処で立つ』と御思いですか。どうでも、こうでも、

教祖様のつけておかれた道は人間心でおぼう(埋う)事は出来ません。一日も遅れてある

ことを心におさめて聞き分けて下さいます様お知らせ致します。

    明治三十一年三月二十八日
前略 この屋敷中に聞いている。胸にたたき込み、同格々々の者人間心で埋(う)んでい

てはならん。女であれど尽くした理はこれは神の守りからこれから登れたが、ほんになあ、

万事研究という。これからすれば強いもの強いものできる。出来る者ほっていても手がた

らん手がたらんというは分らん。そこで、真(◎)を見ているなれど何とも云うものない

ない。あら\/分り、あら\/婦人や、女や、よう聞き分け。男女分けてない。一寸\/

心知らん\/、どうもならん。出来ん者云うた処が出来ん。なれど年限で出来る様になる。

今日種を蒔いて今日に出けん。旬を見て生える。又実が出来る。これ聞き分け。

   「押して鳴物元のお方に習うこと」
さあ\/理をたっとべ。充分\/なんでもたっとべば効能があるある。その理は今日云う

て出来やうまい。この心もってあれば効能理あらわれる。
   「押してこのお方と見分けること」
さあ\/尋ねる処、尋ねる処、分りかけたら分らにやならん。このお地場始め、席の処た

ぶんある。女のお方に一寸席して貰うたして貰うた。これ迄こう云う事はよう知らなんだ。

心さえ定めて尽くしたら結構やなあと、あら積み重ねた効能という。この道よう\/見え

かけたと云う。又尋ねかけた女であれど、公然思うての気休みの理と云へん。教会本部役

員という理は、これは一寸なろうまい\/、なれど同様の心は内うちの心にある。 めん

\/の心にあろう。  「手を打ってから又さしづ」

「前略」年限知らしたら、めん\/心にもてば神の咄し疑われん\/始め一寸にや分らん

処から、艱難かんなん苦労の道通り、日々申さんと分らん。これ将来に聞き取ってくれに

やならん。あちらから、こちらから珍らしや\/と云う。なれど説きようの理で分る。日

々の心のまがらん、にごらん、澄んだ心と云う処、年限の効能と云う理を指図しておこう。

 今まで書き現したことは御指図の中の要点でありますから全部御指図の中をお読み下さ

れて神の御指図通りに万事研究して下されて一日も遅れておりますから甘露台の云う事を

聞き分けて下さいます様お頼み申し上げます。

是非一度真柱様に御面会致し度存じますので御手数乍ら神かけて御返事お待ち申します。

先づは旬刻限のお知らせ致します。

御自愛専一に                              敬 具

 昭和三十七年十一月
                      神 一 条 教

                                 玉  水  仙
 

№21神一条 よりその2

 投稿者:安達  投稿日:2007年 6月15日(金)16時44分29秒
    神一条その2

77 この度の甘露台と言うのもな これも今まで知らんことやで

78 どのような事をゆうのも皆月日 知らん事をばおしえたいから

人間甘露台に本授けを受けねばなりませんことはその証拠に
    御筆先九号
54 これさいが勤めにかゝり出たならば 何かなわんとゆうでないぞや

55 これを見よ確かに月日ぢきもつの あたへしいかりたしか渡する

56 どのようなことでも確か真実の 証拠なければあやうきいこと

57 これからはどのよなこともだんだんと こまかしくとくこれをそむくな

 この御筆先は人間甘露台が天より本授け頂いた証拠であります。

年限に付いて順序をあきらかに申しますと大正元年より昭和十二年は大神様の思惑人間甘

露台を建てよとの仰せでありました。

 昭和二十六年であります。この年は神の思惑の一日の日であります。大正元年より昭和

二十一年は三十五年になります。かくれはしりの年限でこの間陰れて教祖様は人間甘露台

を育て事情に付き添うてお仕込み下された年限であります。その証拠に
    明治三十二年二月二日 夜
前略 三十五年始めかけたなんでもかでも始めにやならん、だん\/一寸 中略 三十五

年後九月十月以来道すじ杖柱として理を治めかけた、どうでもよいと思うてはならんよう

聞き分け。下略 この三十五年の年限は大正元年より昭和二十一年になります。天保九年

戌ノ年より昭和二十一年戌ノ年は百十年になります。この間おさしづの中に伏せ込んであ

りまして昭和二十一年戌ノ年に赤衣初着式を挙げた年であります。神一条にて人間甘露台

の道中年限は一点一分一厘違わぬ指金持って神一条の道に産まれたのであります。この証

拠を持って帯屋三色の許しは自由用自在であります。御教祖御昇天間際にお出し下された

四十九年の指図は今日の一日の日を仰せ下された年限であります。

明治二十年一月四日、このお指図は四十九年より今まで続きはしよまい。先になったら見

えて来ると仰せ下されたお言葉であります。

明治二十年一月十日の御指図にこれから先、四十九年の年限来たら神一条の道をよく聞き

分けねば守護出来んと仰せあり。

明治二十年一月十三日のお言葉には四十九年先のことは皆筆に記してあると言うことを仰

せられてあるのです。次に一ツ心に取って思案せよとのことが記してあります。

一月十日のお指図に さあ\/これまでどのよのことも皆といてある。もうどうこうせい

とは言はんで、四十九年前の道のこと、いかなる道も通りたであろう。分りたであろう。

助かりたるもあろう。一時思案するものない。遠い近いも皆寄せてある。事情も分らん、

もう、どうせい、こうせいのさしづはしない。めい\/心次第、もう何にも指図はしない

で。 天理教本部は人間甘露台を据へる迄に下拵えのため路銀として雛型の授けが渡して

ある。甘露台本授けは神一条で授けよと天からのぢき物を頂いてあるからこれを聞き分け

せねば大神様は指図しないと仰せ下されてあります。この四十九年の年限は明治二十二年

八月三日旧七月七日台、産れた年より昭和十二年は四十九年となります。天理教では立教

百年祭に当たります。この年は神の思惑の深き因縁、百日お指図の中に西の余分々々々々

一人あるわいあるわい、それが気に合わんとすれば今限りやで、又、山を越えて西にある

とも言うてあります。又は甘露台深き因縁この明りで照ってあるとも言うてあります。よ

くよく御研究なし下さいませ。
    御筆先七号
1 月日より三十八年以前にて 天降りたる元のいんねん
2 月日よりその因縁があるゆえに 何かいさいをはなしたいから
3 上たるはそれを知らずに何事も 世界並みやと思うているなり
    御筆先九号
19 甘露台据える所をしいかりと 地場の処を心づもりを
20 これさいが確か定めておいたなら どんなことでもあぶなきはない

24 今までは三十八年以前から 胸の残念誠気の毒
25 この度はどのよなこともしいかりと 皆一れつに知らすことなり

26 知らするも何知らすると思うかな 元なる親を確か知らする

三十八年の年限は、大正十四年丑ノ年に学びの雛型に入る。昭和元年には人間甘露台三十

八才に元の因縁により苦労の道中を通るのであります。助け一条の道に進むことをお仕込

み下されたのであります。又明治二十二年八月三日旧七月七日より昭和十七年午ノ年まで

の間を泥海古記の中に九億九万九千九百九拾九年の年限を御示し下されたのは、六九=五

十四年立ったら神の打明け場所として出現する。その道中は九億九万年は水中生活「おさ

しづに伏せ込みのこと」明治三十九年この年は教祖様の二十年祭で、御筆先十二号119参

照六千年は明治四十年から六年は大正元年になります。教祖御聖令の切れ目、百十五歳ま

では存命のままと仰せ下されてあります。この年からは天理教にては道理上の道と言うて

ありまして人間甘露台は智恵の仕込みを頂いた年で、残り三千九百九十九年と示しあるの

は大正二年丑ノ年より昭和十七年午ノ年までの年限を言うてあります。即ち九九九九九九

この年限をフタ明けする者は人間甘露台しかありません。この五十四年の間大神様の御胸

の内に抱かれていたのであって昭和十七年より親様の体内を離れて独り歩きとなります。

昭和二十一年理の上より大役を受けて神一条に心を定めて進むことが出来たのであります

。ついでをもって五十年の年限をお知らせします。この年限は、天保九年より明治二十年

まで五十年になります。この間は子供にやりたい物があれどようやらなんだと仰せられた

のは甘露台出てからの本授けであり、即ち甘露台の雛型の道をお造り下されたのでありま

す。 そして明治二十一年より昭和十二年迄が五十年になります。「天理教道理上の道」

大正元年より昭和三十六年まで五十年になります。これから先は大還道であります。

神一条にてこの世は神の思惑、神の御支配、神のお指図に従はねば人間方法手段でした事

にまともに出来たる試しはありません。いよいよ年限をおうて旬刻限も抜き差しならぬ様

になりました。大神様の大聖旨の人間甘露台を(天理)本部に治めねばならん様になりま

した。大神様の大聖旨もこれにて大願成就し、どうでもこうでも、神一条に基づかねばな

りません。これ一ツが大神様のお急き込みである事は言うまでもありません。

明治二十一年六月三日お指図に、「前略」早く急ぐ一ツの順序ある。障り身上一条一ツ尋

ねねばなるまい。「中略」一ツ事情分りがたない。刻限理を持って咄するこれ急き立てる

理早く甘露台珍しいこと言いかけ、又始めかけ、甘露台一条世界にあることは言はん。こ

れから神の言うようにすることだんだん聞かす、だんだん立ち来る判然理分かりがたない。

これから天の理運ばねばならん。

明治二十一年六月三日午後四時半、「前略」長い道やで一寸許してあるのや、これから神

一条やで、実なる処かんろだい早く取り決め、取締り、難しい様にあるけれど神が皆働く、

なんでもない、「中略」甘露台一条の道通れ、甘露台一条の話し、又又刻限持ってしらそ、
又々と。
明治二十一年七月二十三日「前略」神一条の理まだまだいかん、さあさあ神一条の理は一

夜の間にも入り込むならどうしょうとままや、「中略」神一条の道はなかなか分らん分ら

ん、甘露台の道分ろうまい。
明治二十二年四月十八日午後十時 「前略」 今迄に伝えた話し甘露台と言うてくどきく

どき詰めたる、さあさあこれよりはすみやか道からいんまに甘露台を建てにやならん、建

てんならんと言う道が今にあると言う。

明治二十二年七月三十一日旧七月四日「前略」神一条の道をどうでもこうでも聞き分けに

やならん、永らへての道の処、分りにくいよう聞き分けてくれ、聞き分けてくれ。

明治二十二年八月四日旧七月八日甘露台の生まれた明けの日の御指図に、「前略」一ツの

道という天の理教えや、やれやれもう楽しみも知った、どんな理も分るなら、真実大きい

フタも二重三重のフタも取る、「中略」二重三重のフタを取らねばならん、神一条は八方

夜から夜、もう一つの事情と云う、人間の理と云うは明日のの理がない。よう聞き分けて

くれねばならん。「後略」

明治二十二年八月二十一日旧七月二十五日「前略」内々どうもならんからころりと道を立

てかへて世界これだけの道を始めかけ、神一条世界一ツの道、只一ツの道を始めかけだん

だん、いんねん因縁の理を以て始めかけたると云う理をもってはじめかけたる理と云う、

充分理を聞き分けてくれねばならん。何年の理をはかる心に一つの理がどうなりこうなり

充分治まるこの事情。「後略」
明治二十二年九月十七日旧八月十三日御指図の中に「前略」皆よう聞いておけ、もうしば

らくの処、神一条の道にしてしまう、日々取り扱い成程これでこそ、神屋敷天の理、何時

何時までも残るという。そこで、もう一寸前々よりも伝え話し、刻限の理が分りがたない。

これからは皆心を、継ぎ合い人間の心で定めた理は、どうも続かん、何かのこと頼みおく。

「後略」 明治二十二年十月二十三日旧九月二十九日御指図に、「前略」人間心すっきり

入らん、もうこれから神一条と云う道を立てにやならん、立てささにやならん、立てさし

てみせる。「後略」次に 明治二十二年十一月七日旧十月十五日「前略」日日の処、三十

日と云へば五十日向うの守護をしていること知らんか。「後略」

明治二十三年六月二十日旧五月四日「前略」だん\/のさしづ、めん\/皆それぞれ談示

だんじて、勝手運ぶなら何も尋ねる迄やない。人間の義理に尋ねるなら入らんこと。さし

づをはずせば尋ねる迄やない、尋ねるならさしづもしょう。指図は神一条の話し、これま

での処は、多くの処、内々定める処も、まだまだ尋ねてないで、一ツ人間の心でするなら、

尋ねるに及ばんもの、見たら分かろう、仮屋普請、仮屋普請、日覆同然のものと云う、こ

れすっきりと分らん。何時取り払いせにやならん。年限何ヶ月立つ、こぼたそうと思えば、

一日の日にもこぼたして見せる。人間心に、一寸に運ばにやなろうまいと思う指図通り、

仰せ通りと云う、もうこれ、すっきり」分からん、一ツ分らにや、どうもならん、二ツ分

らにやすっきり、三ツ分らねば暗闇と云う。           神一条その3へ
 

№21神一条よりお伝えします

 投稿者:安達  投稿日:2007年 6月15日(金)16時30分1秒
   №21 神一条  昭和三十七年十一月 発行

 最後の吉祥の一日の日 旬刻限のお知らせ  神一条教本部 (全三十頁30/3で伝)

 神一条その1 時と旬より九年後の発行 天理教本部への手紙、資料の小冊子より

拝啓 日々は御道のため誠にご苦労様に存じます。

秋もいよいよ深刻と相成りまして真柱様にはお変わりなく御壮健におすごしの事とお喜び

申し上げます。

 この度は奥様には御逝去の由誠にまことに惜しい事を致しました。奥様の御身上は病で

はなくて大神様のお急き込みにて御身上お返しなさたので本当に申訳御座居ません。
          (昭和三十七年九月五日、二代真柱夫人、中山おあい様出直し)
大神様の大聖旨は秋を合図に人間甘露台が出て来ると書き残し下されてあります如く、い

よいよ年限おうて旬刻限が当来致し今年と言う今年は、どうでもこうでも人間甘露台を治

めねば大神様の御残念が強くなりますから、一寸おさしづ一条にてお知らせ致します。

何卒お聞き分けして下さいます様にお頼み申します。

   御筆先 十六号
16 この返し見えたるならばどこまでも  胸の掃除が独りでけるで
17 今迄はどのよな事も 見許して ぢいとしていたことであれども
18 今日の日はもう日が積んであるからな どんな事でもすぐにかやすで

19 この所(神一条の所)止める心で来るならば そのまゝどこへ月日出るやら
  と仰せ下されてあります故に余程お心に治めて下さいます様お願い申します。
   御筆先 三号
108 今迄は証拠ためしとゆてあれど 甘露台も何の事やら

109 この者を四年以前にむかいとり 神がだきしめこれが証拠や
 このお言葉は御筆先をお出し下された年は明治七年、御教祖七十七才御歳にお出し下さ

れてありますので、四年以前と申しますと明治四年にお里様がお屋敷にお勤めなされた年

であります。明治四年から七十七年をくりますと昭和二十二年に成ります。この年は本席

百十五才に当たります。人間甘露台が赤衣を着て一年目になります。神一条の道は年限の

理で建ってある事を御示しあります。

110 真実に早くかやする模様だて 神の急き込みこれが第一
112 これからは如何な話しも説きおいて それ見えたなら自由用自在や

113 今迄の事は何んにもゆてくれな 二十六日始めかけるで

 この年限は御教祖様百十五才までは存命のまゝの守護下されて百十五歳で御聖令は切れ

ております。それからは大正元年より子供育て事情にて人間甘露台に付き添うてお仕込み

下された年限であります。この年より昭和十二年は二十六年になります。

大神様の大旨はこの年に人間甘露台を建設せよとのご計画でありましたが十年遅れて昭和

二十二年となりましたが、この遅れた理由はおさしづに子供産れるのも遅れたが神入り込

むのも遅れたと書き残してあります。それから道は三年かと思うたら五年迄のびて昭和二

十六年に吉祥の一日の日になりました。御筆先通り年限はおうています。

甘露台が大正十四年に学びの道に出て雛型のお授けを頂いた。この年より昭和二十六年は

満年になります。昭和二十四年は丑ノ年で月にとりては十二月、時刻にとりては丑満頃と

なります。昭和二十五年は一月となり昭和二十六年は月にとり二月となります。御神言に

は日の立て合いと言うてあります如く、二月二十六日は吉祥の一日の日となります。

その証拠に 明治二十七年一月十一日の刻限御話し 明治二十七年一月十七日

前略 これまでやう\/の事、なかったであろう。今度今度年が明ける始り始りもうこれ

まあまあ一寸真似をしてやれ珍しいやなあ、さあ\/始めかけたる古い道。新しいと言う、

新の正月はすんだ。古い正月しもうて正月三十日永い様なものなれど言うているまに二月、

さあ始まる。どう云うこと始まる。一寸早く先にさとしおこう、今度という今度は始まり

は治まり方とも言う。下略 この年限は大正元年より昭和十六年迄新の正月という。

一年胸澄まして昭和十七年より神一条の道始める。
   御筆先一号
39 ちょとはなし正月三十日と日を切りて 送るも神の心からとて
40 そばなもの何事すると思へども 先なることを知らんゆへなり
41 その日きて見えたるならばそばなもの 神の言うこと何も違わん
42 今迄は神の言うこと疑うて なにもうそやと言うていたなり
43 この世を始めた神の言うことに 千に一つも違うことなし
   御筆先十号
24 月日より引きうけするというからは 千に一つも違うことなし
   御筆先三号
113 今迄の事はなんにもゆてくれな 二十六日はじめかけるでと仰せあるのは
   御筆先十七号
24 この話どう云う事に思うかな ふでの先から見えて来たなり
25 今まではどのよな事も聞いていた この度こそは残念はらすで
26 この話しどうゆうことに思うかな 何時何処で退くやらな
27 これまでの永い道中この残念 ちよとの事でないと思へよ
28 これからはこのかへしをばする程に 皆一烈は承知していよ
29 世界中どこのものとはゆはんでな 月日しつかり皆見ているで

34 今まではこの世始めた人間の 元なる地場は誰も知ろまい
35 この度はこの真実を世界中へ どうぞしっかりおしへたいから
36 それ故に甘露台を始めたは ほん元なるのところなるのや
37 こんな事始めかけるとゆうのもな 世界中をたすけたいから

44 もちいとの刻限来たらんそれゆへに ぢいとしていたことあれども
45 今日の日はもう充分に積んできた 刻限来たらすぐにかやすで
46 この日はな何時の事やと思うている 二十六日来たる事なら

 二十六日とは二十六年の吉祥の日を言うのであります。この年限は昭和元年より人間甘

露台雛型のお授け頂いた年より二十六年は昭和二十六年となります。これより二月二十六

日神の思惑の吉祥の一日の日になります。昭和二十四年は丑ノ年月にとりて十二月になり

ます。時にとりて丑満頃となる。昭和二十五年寅ノ年は一月となり、昭和二十六年は月に

とりて二月となります。これ日の立て合いとして二月二十六日と申します。

 明治二十七年一月十一日おさしづ参照
 年限もせっぱにつまりてのお知らせでありますから心定めてよく聞き分けて下さる様御通知致します。
   御筆先十五号
53 この勤めどんなものでも思案せよ これ止めたなら我が身止まるで

54 この世を始めかけたも同じ事 ない人間を始めかけたで
55 これさいが始めかけたる事ならば どんな助けもうけあうで

56 この事はしいかり承知せんならん これ止めたならすぐにしりぞく
57 今までは高山やとてけんけんと ままにしていた事であれども
58 これからはいか程高い山でもな 谷そこままにさらにでけまい
    雛型石の甘露台の証拠
  この所やまとの地場の神型と 言うていれども元知らん
    御筆先九号
45 今なるの甘露台とゆうのはな ちょとの雛型までのことやで
47 この台をすこし堀込みさしわたし 三尺にして六角にせよ

今までは雛型の甘露台でありましたが、三十六年来たら谷底から出て来ると言うてありま

すが、この年限は三十六年の事であります。

48 今までにいろいろ話しといたるは この台据へる模様ばかりで

49 これさいがしいかり据へておいたなら 何もこわみもあぶなぎもない

50 月日よりさしづばかりでしたことを これ止めたなら我が身止まるで

51 これを見て誠真実結構と これは月日の教へなるぞや
52 この台が出来たち次第勤めする どんなことでも叶わんでなし

石の甘露台を雛型と言うてあります。この度昭和三十六年には人間甘露台を出すと仰せ下

されてあります。  その証拠に御筆先十号            神一条その2へ
 

時と旬より№4

 投稿者:安達  投稿日:2007年 6月 8日(金)10時44分54秒
    時と旬より№4
「会議しますから元の席に御直り下され」

前略 指図に無駄あろうまい一日の日を踏み止めて見よ、踏み止めてくれるがよい。

 こうして一つ\/証拠現れてゆけば致し方あろうまい。一日の日とはこのお指図の年限

は三十八年の年限を知らねば人間甘露台を何時据えるのか分からん様なことでは鏡屋敷と

は云へんのである。此の三十八年は明治三十四年にお出し下されし故に此の年より三十八

年を先にくると昭和十三年になる。立教満百年祭に当たる。 亦初代本席御逝去の年より

即ち明治四十年より昭和十九年、二代本席として出現の印を打った年である。ひな型通り

嘉永六年に夫様六十六才にて御逝去、御教祖様五十六才であった。人間甘露台もひな型通

り夫六十六才にて死亡、台はこの年五十六才である。こうして一点一歩一厘違わぬ差金持

って出現致すのでなくば真実の人間甘露台とは云へません。広い世界に只一つより無い甘

露台を御教祖様は御神言にお書き残し下されし大慈悲を深く知るべきである。うか\/き

ょろ\/している時ではありません。旬ある時ある。旬はずれたら何もならん。大神様の

御残念出たら天災地変、第一火柱水柱悪の事情でも精神一つの理で治まると云うてあるが

何時までも我が身勝手の解釈は神が通しません。早く精神定めて御指図通りの道を運ばね

ば遅れる事を知らしおくよく\/聞き分けが第一である。
   御筆先 三号
147 にい\/のにいの五つに話しかけ よろづいんねんみなとききかす

と年限をお示し下されてある。此の年限は二十五年を三つと、後の五年とで八十年になる。

この御筆先の出た年は明治七年御教祖七十七才の年であるから明治七年より七十七年をく

ると昭和二十六年になる。この二十六年は月に取りますと二月となりますから御教祖様は

正月二十六日に御昇天、今度の人間甘露台の出現する年は二月二十六日と仰せ下されてあ

る。其の証拠は明治二十七年一月十一日

前略 一寸まねをしてやれ、めづらしいやなあ\/\/、さあ\/始めかける古い道、新

しい道という。新の正月はすんだ。古い正月しまうて正月三十日長い様なものなれど云う

ている間に二月さあ始まる。どう云う事始まる。一寸早く先に諭しおこう。今度という今

度は始まりは治まり方とも云う。どうでも今度は難しい世界くもる。日がくもる思惑の道

が遠い、思案もせにやなろうまい。 後略  此の御神言の中に古い道というてあるのは

御教祖、初代本席の代を古い道と云うてあるが此の古い道が新しい道として神一条の道を

仰せ下されてあるのです。新の正月とは御教祖様は百十五才までは存命のまゝにて守護す

ると仰せ下されてあるから古い道の事を一寸まねして神一条の道をもう一度チョンの初め

する年は正月三十日と日を切りて出て来る人間甘露台の年を示しある。此の三十日は御聖

代を継ぎ目の年である。大正元年より三十年は昭和十六年である。此の年に道理上の間は

色々の道が多く出来て大神様の大計画の大旨が分らずに勝手解釈をなしし故にくさり縄の

むすぼれたる如くなりてお指図を軽しめている事を大神様は残念にて、たった一つの台を

急いでお出し下されし年限である。 此の証拠に

    明治三十二年十一月十五日
前略 一つとんだ事情あって治まらにやなろうまい。どう云う事長い間長い道の理、だん

\/重ね一ツ重ね二ツ重ねもう一つ重ねにやなろうまい。これからと云へばこれから一つ

台これからと云う。それ\/皆々の理にある。治まるも治まらんも皆々の理にある。えぐ

い話と思うたらいかん。屋敷只一つ、今日まで伝へにくかった。尋ねる事情は早く順序運

んで満足ささにやならん。順序運ぶにも良い事、悪い事、皆々の中にある。分りよい理も

心という理より分り難くなる。恐い処をよう\/食い止まり将来もう一度無い。これから

順序聞き分けてくれ、もう何時の間や何時や。よう連れて戻り一日や二日やと云うまでや

ない。これから順序聞き分けてくれ、満足あたへば一日に日(昭和二十六年吉祥日)これ

から立てようとこわそうと人々皆心にある。どれもよいこれもよいは何も云う事はない。

一つ\/間違うから見にやならん。これよう聞き分けてくれにやならん。三ツ重ねて神一

条の道をつけるのである。  其の証拠は明治二十三年八月十二日

前略 真実\/台是れ談示出来る。どんな事も話しよう、聞きよう三才童子一つの理を持

ち今日の指図、今日の事を知らす。明日の指図と云えば明日の事を知らす。三年先の事を

知らす。生涯と云へば生涯の理をすっきり指図する人  後略

   明治三十一年四月二十日 夜

前略 下を助ければ上が助かる。上から下をを助けるは足場(道理上の道)、足場なくし

てそら登れるか。この理軽き理と思うなよ。理は下である。空は上であるし、これ聞き分

けにや分かりがた無い。よう聞き分け。さあ四方正面\/鏡屋敷、あちらやら、こちらや

ら世界尋ねに来る。理くさる、理くさるも同じ事。くさるというたらくさりてあろう。

 こうして四方正面鏡屋敷の理が分らねばどうもならん。此の御指図には鏡屋敷があちら

やら、こちらやらやらと云うていては世界の人々の迷いの台になる様な事では神の御残念

如何ばかりでしょうか。四方正面鏡屋敷と云えば、どこからどこまで分かるが鏡屋敷と云

ふのである。神の書きおき下されし年限も分からず、月遅れさし、日遅れさして若い者が

どし\/と死んで行くようでは何として神にお詫び致すのですか。よく\/考へつかねば

ならん事である。御教祖の御苦労の道すがらを振り返りてお指図通りに道を立てるでなく

ば世界どうしてお詫びするのです。一日も早く人間甘露台を踏み止めてこそ御教祖様は御

満足なさるのである。

    御筆先 九号
24 今までは三十八年以前から むねの残念誠気の毒

と仰せ下されてある。この三十八年はこの御筆先は明治八年にお出し下されてある。この

年より御教祖様の御年令七十八才のこの七十八年をくると昭和二十八年になる。この年よ

り三年立ったら人間甘露台の三十年祭となるのである。

    御筆先 十号
77 この度の甘露台と云うのもな  これも今まで知らん事やで
    御筆先 十一号
16 この助けどう云う事に思ふかな  三日目には外へ出る様

と仰せ下されてある。年限は昭和二十八年より三年はどうでもこうでも外へ出さねばなら

ん切迫につまりての年限刻限である事を深く考へて貰いたいのである。
    御筆先 十号
100 この道を上へぬけたる事ならば  自由用自在の働きをする
    御筆先 三号
46 この所よろづのこと説き聞かす  神一条で胸の内より

47 分る様胸の内より思案せよ  人助けたら(人間甘露台を)我身助かる

48 高山は(天理教本部の事)世界一列思う様  まゝにすれども先はみえんで

51 世界中胸の内より真柱 神の急き込み早く見せたい

148 高山の説教聞いて真実の(神一条) 神の話しを聞いて思案せ

149 日々の神の話しをだん\/と 聞いて楽しめ古記なるぞや

   明治三十三年九月九日 本席身上より
前略 先の事知らしてある。あとや先になる。皆一つ\/調べて見よ。うそはありやせん

皆、先々のこと云ふたる、云ふておいた事は年限の内にはどうでも、こうでも出て来る、

見えて来る、どうでも先の事いふうておいたらその日来る。百年先の事云ふておけば三十

五十の者は知ろうまい。なれど、どうでも出て来る。これよう聞き分け、元の話しはこの

位のものよう聞き分け。  とある天理教本部から人間甘露台は絶対に出ん、他から出て

来るのである事はこのお指図によりて分明致すのである。

   明治三十二年十一月二日 刻限
前略 一人残してある。皆の者も皆手を打たねばならん\/と云ふ理を一寸悟しおこう。

 大神様の大計画の年限は昭和十二年、即ち、立教百年に人間甘露台をすえるのが思惑で

ありますのに道は三年かと思へば五年迄のびてて昭和十六年に悟りを開いた年、昭和十九

年には二代本席として一つの印を打ち、昭和二十一年に人間甘露台として理の上から赤衣

初着式を挙げ一つの理を打ってあるのです。それから五年間は各教会にお知らせ致して御

筆先通りに昭和二十六年にいよ\/旬刻限切迫致し三十年祭の三年前の旬となり、どうで

も、こうでもお指図の上より天理教本部にお知らせ致さねばならん甘露台の身上に迫り来

たのです。それ故に天理教本部にお知らせ致すことを決心定めて身上すっきり致した様な

次第です。欲や、むほんで甘露台が出現致したのでは有りません。御神意に由りて神一条

を付けたのですから取り違いなき様に一寸一言申し述べておきます。

大神様の御残念の意現れたら天理教本部丈の事でなく世の中の人達が天災地変現れたら世

界へ何とお詫びなさるのですか。我が勝手解釈にて神の大旨を聞き分け出来ねば、神に向

かうも同じ事です。よく\/御研究なし下さる様一寸一言旬の年限をお知らせ致します。

昭和三十一年は御教祖様七十年祭と人間甘露台の満三十年祭と一ツになる年である事を知

らねばなりません。
            神 一 条  玉 水 仙
 不 許 複 製

 印刷日  昭和二十八年九月二日印刷
 発行日  昭和二十八年九月五日発行

      編集者  教主   米 谷 玉 水 仙

      発行所  布施市三瀬二丁目三十一番地
             神 一 條 教 会 本 部
                   非売品

 さて、如何なされますか? 見なかった事にしょうで通せますか?

昭和三十一年に天理教を七で切って、三で神一条に繋ぐと言う計画でした。ひな型、学び、

稽古の道理上(応法の道)の侭で良いのでしたらどうぞ! そうして下さい。

原典通り従う事は天理教にとって何も不都合な事はありません。原典通りしないと神に向

かうも同じ事と仰せ有りました。御教祖様に逆らわないようにして頂きたい。よく検討さ

れる事をお勧め致します。 宜しくご理解下さい。 拝読して頂き有難う御座いました。
 

時と旬より№3

 投稿者:安達  投稿日:2007年 6月 8日(金)10時41分57秒
     時と旬より№3
    「明治二十四年二月七日 夜 二時刻限」

 大神の大旨を悟った年、昭和十六年、昭和十九年本席印打、昭和二十一年甘露台印打

さあ\/\/刻限を以て話しかける。さあ\/どう云う事話しかけるならさあ\/一日の

日も(昭和十六年十二月十日)よう\/の日さあ\/明けるなら一つという。さあ話しか

けたらどう云う事も万事話し通り、如何なるも皆今一時筆に書き取る処一日の日がたつ(昭

和十九年本席の印打)一日の日からうつる(昭和二十一年人間甘露台の印打)五ヶ年\/

と五ヶ年の日にうつる(昭和十二年より十五年目は昭和二十六年)四方\/の処々にもい

づれ\/五年\/どういう事万事何かの事話しかけるによって事情は一つ人間の心の理と

いうはさら\/もたぬようさあ\/五ヶ年\/五年経ったら(昭和十六年十二月十日より

昭和三十年は十五年になる)どういう道とも分かろうまい、世界の道も分ろうまい一年経

てば一つの事情(一年は一代本席の代)又一年たてば一つの事情(天理本道の代)年に取

りて六十一年(昭和十六年は大西様六十一才と云うていたが)おかげ\/と待ちかねたる

処、又一つには改正\/という明治の代という、国会、という知らず\/待ってさあ楽し

みの道はさらにあろうまい(月日治める代と楽しんでいられたが天理本道にては楽しみの

道は無かった事)一夜の間の事情を見よ、国会二十三年というた(昭和十六年人間甘露台

の胸澄ましの年、昭和二十二年十二月十日まで。御教祖御昇天の年より六十一年目明けて

昭和二十三年である)一つの事情又おかげ\/の事情とよう思案せよ。さあ\/明ければ

五年という(昭和十七年より二十一年の五年)万事一つの事情を(人間甘露台の印打った

から)定めかけ、定めるには人間心はさら\/いらん(神様より人間甘露台に示して下さ

る)弱い心は更に持たず、気兼ね遠慮は必ず入らん、さあ思案してくれ、是から先は神一

条の道、国会では治まらん、神一条の道で治める。恐い道があってやれ楽しみという。五

年\/の事情(昭和十六年より十年は昭和二十六年吉祥の一日)もう経ち切ったる。一つ

の日柄世上には余程の理も運びよう\/理を一寸治めかけ、治めかけは何か難しき道であ

る。(神一条の教へは一寸もいうてはないから難しい)どう云う事も難しい道、年が明け

たら五年、一日の日から(昭和三十年は三十年祭)始めたる国々\/の処万事取り締まり、

さあ\/談示のけつは誰が取る。これまでよりも神の指図という指図通りの道なればどん

な事も遠慮するやない。気兼ねするやない。さあ楽しんだ、五ヶ年楽しんだ。一日の日万

事談示、又思惑一つの事情は又々尋ねてくれるよう。(神の思惑は人間甘露台一つの事情

であるから神一条の道へ)   △左に年限刻限をかゝげておきます。

 天保九年戌の年より昭和二十一年戌の年は人間甘露台が理の上から生れる年限でありま

す。 此の証拠に御教祖七十八才、明治八年より昭和二十八年は満七十八年になる。

   御筆先八号
38 この屋敷この世の親が出てるから おびや三色許す事なり
39 この屋敷元なる親の証拠に おびや許しは助け道明け
40 この屋敷元の神々出てるから 人間始め元のいんねん
 注意  天理教の御筆先は31〜53まで歌が抜けています。

明治四十年に初代本席様七十五才にて御逝去なされし年より昭和二十二年亥年は御年令百

十五才とお成り下されて有ります。甘露台道に踏ん張り抜く年であります。

天保九年戌年より昭和二十八年巳年は百十五年になります。この年はいよ\/大神様の大

計画の大旨を実行致すべき年限に当たります。  「この証拠に」
    明治二十七年一月二十二日
百十五才是れは定めたるなれど一人は(管長公)まだ年限は分かろうまい。長らへ\/の

事情によって(お指図の出た年より昭和二十八年)世界から出て来るは(天理教以外より

)何の理であるぞ(心一つ伏せ込んだ理)あいてもあかいでも心に理が(前生からの宿命)

はまらねば出ては来ようまい。

   御筆先 三号
100 この助け百十五才定命と 定めつけたい神の一條

101 日々の神の心の急き込みを そばなる者は何と思てる

   御筆先 十号
73 思案せよ口で何事云うたとて  たしかな証拠なくばいかんで
74 月日より体内よりも入り込んで 自由用自在の指図証拠や
75 それ故に今迄何処にない事を  ばかり言うて始めかけるで
76 それまでにあゝちこうちとどの様な はなしだん\/皆きくであろ

   明治三十三年六月二十一日
体内に宿る迄に知らしたる眞(眞柱の事)一ツ筆にしるして 十分に知らしてある。この

自由用といふは深き因縁十分の理におさまりたる。まだ\/あと\/の事情。(お指図の

でた年より今日まで)

   明治三十二年八月二十六日  御本席御身上
前略 今一時どれだけ人あったて(他所よりどれだけ甘露台というていても)教祖の理を

はくは一人である程によう聞き分け。成ってしもうてからは取り返し出来ん\/。後略

   明治三十年二月一日(松村吉太郎風邪引)
本部員や役員というなら世上へうつるが、鏡屋敷くもり事情(人間甘露台)踏み止めくれ

にやなろうまい。一日の日よりしっかり定めかけ(昭和三十年は人間甘露台を始めて三十

年祭を勤める吉祥の日)皆よう聞かして下されたという理が分かれば一つ精神の定める理

も出来るやろう。地場も鏡なら世上の理もうつれば地場のくもりも皆うつる。 後略

   明治二十年一月十三日
四十九年以前から何も分らん難しい事があるものか。中略 さあ\/答うる処それ答うる

処の事情、四十九年以前より誠という思案があろう。実と云う処があろう。事情分かりあ

るのか無いのか。 後略
右の四十九年の年限は人間甘露台の生まれた明治二十二年より四十九年は昭和十二年即ち

立教百年祭となります。又後の四十九年は人間甘露台の父死別の年即ち明治三十六年より

昭和二十六年であります。父死別の年より人間甘露台(小人)を大神様よりのお仕込みと

なり、それよりの苦労の道中、筆に書き表す事の出来ぬ御仕込みでありました。以前にも

以後にも四十九年の一つの印を打って実証となります。
   御筆先 三号
113 今迄の事は何も云てくれな  二十六日始めかけるで
   御筆先 七号
67 この者は六年以前三月の  十五日よりむかいとりたで

この御筆先は明治二十年御教祖様御昇天の御年より「六年」を後へくると明治十五年にな

る。この年は御本席夫婦が名実共に伏せ込みとなった年。「三月」とは明治十四年より後

へ三年くると明治十二年となる。「十五日」とは明治十一年より後へ十五年くると元治元

年となります。この元治元年こそ現在の天理教を造った元の一坪四方のつとめ場所を建て

られた根本精神を打ち込まれた元の種である。飯降御本席夫婦の古記である。功能である。

此の一坪四方のものは建家でないと御教祖様は言い残して下されてある事をよく\/思案

せねばならん事である。   御筆先 三号

108 今迄は証拠だめしと云うてあれど  甘露台も何のことやら

と御言葉であるのは天理教の中真として拝していられる今の甘露台はひな型であると仰せ

下されてある。   其の証拠に 御筆先九号

45 今なるの甘露台と云うのはな  一寸のひな型までのことやで

と御示しあり実の甘露台は人間であると仰せ下されてある。 其の証拠は
   御筆先 十号
77 この度の甘露台と云うのもな  これも今まで知らんことやで

と御示し下されてあることを知らねばならんのである。
   御筆先 三号
109 この者を四年以前にむかいとり 神がだきしめこれが証拠や
110 真実に早く返する模様だて  神の急き込みこれが第一

此の四年以前とは御筆先の出して下されし年は明治七年であるから此の年より四年を後へ

くると明治四年となる。明治四年は御教祖様御歳七十四歳でありますからこの年より七十

四年を先へくりますと昭和十九年になる。此の昭和十九年には一つの印を打ち二代本席と

して出現致したのである。この年は明治四十年本席御逝去の年より昭和十九年は三十八年となる。  三十八年と言う事に付いて其の証拠は 明治三十四年五月二十五日
「昨日より御本席御身上大変のぼせると仰せ有り御障り中本日増井りん御教祖赤衣仕立て被下し事に付き申上被下夫より段々お咄しありて本部員不残寄せとあるにより一同揃い御話し」(御しき布団敷かず御座りで御指図)

三十八年あとこんな席へすわりやせん。皆々揃うてくれ\/まあ\/遠い所から運んでく

れるは容易やない\/さあ一々話しして聞かす、ぞんして心にはまりたらよし、おさまっ

たらよし席というもの、どう云うものと合点ゆかにや尋ねたらよい。席が(夫婦一身同体)

どう\/して話しするによって聞き分け。分りかけるから分る。元々から席元の座へ直す

も直さんも理にある。直さにや理なきもの是心の腹へ治まりてあればよい。心と云うもの

違いあってすれば順序今日かぎりのもの。これよく大事の場である聞きぞこないあっては

なろうまい。取りぞこないあってはならんと是れまで指図してある。にごり\/ついては

ならん。にごりはどうもならん。仕切りて道の理治めてどうでもと云う精神うすいから人

の心に流れ人の心に流れてこの道たって行くか、いかんか、よく聞き分け。さあ\/どう

やこうやと一つ\/の答へがするか答へ出けんか答へもせず席一つの場へ、のぼせんと云

うたらこの道どうなるか。これまでどうして通りて来た。よもや\/十年後からなって来

た道やあろうまい。寿命縮めて席に出て働きさしたらこそ。世界やれ\/と目をさます様

になったもの、教祖存命の間より年限幾年立ったか。思案して見よ。さあ\/どうや、こ

うやと一々答へして見よ。何時\/こうであったと理が無くばならん。どうもこうも理が

もどし、指図をくだき、何よ人間心、人間心でどれだけかかったかて行かせん。 中略
                             時と旬より№4へ続く
 

時と旬より№2

 投稿者:安達  投稿日:2007年 6月 8日(金)10時39分56秒
    時と旬より№2
   明治三十二年六月十九日のさしづに

小さい者が(人間甘露台の所)小さいやない。大きい者が(天理本部の所が)大きいやな

い。何か改めて(お指図を聞いて)よう聞き分け。

   明治三十二年六月二十六日(110頁P3266)のさしづに
大きいと云へば(天理教本部の建物を見て)大きい所へ心寄せてしまふてはならん。

   明治二十二年二月二十三日
 さあ一日の日から(昭和二十六年は二月二十六日になるから吉祥)始め掛ける。すっき

り洗いかへて始めかける、運びかける処席順序一ツ理聞き分け(人間甘露台であるという事を)
   明治二十七年十一月十三日のさしづに
 一ツ又々一ツ十分の処(神一条の所)かれこれ(くさりなわのむすぼれた道)指図通り

直し日々急いた。日暮れ一年や(初代本席御逝去になりた)何時の間に出来てしまい(神

一条人間甘露台)一ツ理(伏せ込みの理)中一ツゆっくり出る(中甘露台は刻限来たら)

この家(天理教本部では)席しまいのものか、それ切りのものか。これ聞かしてくれ(二

代本席人間甘露台に)一々繰り返せ(神一条より言へと)さあ\/一度に話してしまう。

親子兄弟どれこれ区別出来ん、肝心なる所中山邸あってないこれ(前管長眞之亮)も早く

かくれて、邸とうは切ってしまう。これから(神一条)運べば実に\/神の話とどんな事

も(天理の本部から神一条に)運んでくれにやならん。これでと思う理は尋ねてくれにや

ならん。(指図の中分からねば席に尋ねよとの事)見苦しい事は(人間心は一ツもない)

一ツも云わん。

   明治二十一年六月二十三日
 この所一つ諭したる所これ助けたい(神は人間甘露台を)一条で天降る所分からんから、

これ迄年限の道というは、神一条、世界の所(天理本部)は道理上世界では同じ道運ばね

ばならん(人間甘露台を治めねば)胸の内一つ理を以てかかる(大神の思惑通り神一条を

立てる)難しい事でも通れる(神が働くから)まあ一日の処にても(天理教本部は神一条

の道)一寸通らねばならん、甘露台一つ人間定めてある、何でも一日ある楽しみあると云

う事を治めて貰いたい。

 このお指図の年限をくりますと立教百年即ち昭和十二年に人間甘露台を建設せねばなら

んのであるが道は三年かと思うたら五年まで遅れて昭和十六年の十二月十日に人間甘露台

の下こしらへを致したのである。子供生まれるのも遅れたが神入り込むのも遅れたのであ

る。昭和十六年より七ヶ年の年限立って人間甘露台として昭和二十一年十二月十日に理の

上より誕生したのである。 この証拠は

   明治三十二年十月五日  押してひるの御指図の場所という処
 さあ\/尋ねかやさにや分からん、年限数えば分かる、年限七年の年限、其の間に小人

一人(人間甘露台)今一人場所という(神一条の所)一本(御教祖様)の根から伏せ込ん

だ種二人(本席夫婦)子供芽を吹きかけた伏せ込んだる一本の根より理がふへてある、あ

ら誰やと区別ありては一本の根とはいへようまい。月(正月二十六日)が変われど、日(同

二十六日)が変わらん。この順序あざやか分かるやろう。よう聞き分け。「暫くして本部

員一同墓の事談示居る間」違う\/まだ分からんか\/もう七ヶ年(昭和十九年より満七

ヶ年)たったる間一人あと子供(二人一体人間甘露台つなぎの理)二人芽をふかしてある

(つなぎ、つっぱりで)此の順序何ぼ諭しても分からん。一本の根ならこそ月は変われど

日は変わらん。(御教祖日様は正月二十六日今度の人間甘露台は二月二十六日吉祥の一日

である。月は変われど日は変わらんこれ確かな証拠である。)

    「おさと様の処でありますか」
 さあ\/道がつくりてあるによってどちらへなりとも順序が出来る\/。

    明治二十八年十月十一日  「前川喜三郎で御座りますや」
 さあ\/それは尋ねる処\/方角はころっと違うたる。山を越えて(生駒山)西にある

今の処(神一条)普請にかかりている。早く治めて(本部に)やりやおほいのためになる。

     「大阪網島寺田で御座ります哉」
 さあ\/どうなりこうなり分かりたか十分\/どうしょう知らんと云う処いづれほって

おかんと云ふて楽しましたる。よう\/の日が来る。本部へ(神一条の)一つ理寄せてや

るなら、あざやかと云う。

    「風除けは出来てあれ共しまりなし 早くしまりの模様するなり」

     「いつまでもくらす場所を思案せよ 心定めて早くおちつけ」

    「おちつけば着物食物不自由なし 早くに人をかへす事なり」

    「此の人を今度返して事ならば 是れ日本の棟梁となる」
(人間甘露台指図の分かりた事)とお歌で先の事をお知らせある(明治十五年御教祖様直

筆にて本席夫婦に下さる)

   明治二十四年五月十日  「中山会長御居宅新築お御願」

 さあ\/それ\/心にかかる\/又一つには又談示を以て一同の心得一つの事情、又尋

ねる処(神一条の処へ)普請と云うは宅(管長の)と云う事情は仮に許す。仮家で許す中

に思惑通りにはいかん、ぼうたげ(その場のふた)ことかけと云う本普請(人間甘露台治

まる)の旬が来ればすっきり取り払ふてしまう。一時にかかる(神一条の道)是はまだ一

寸にはいかん(明治二十四年の御指図であるから)今尋ねる処は(管長の宅は)ほんの仮

にしてしんびょうの事情(質素にして)どっこへなりと直せる様この心なけにやかかれん

半ばとも思わず(人間甘露台まだ出ていないから)当分の事かけ一軒二軒三軒(仮りの三

軒であるから)それ\/かるくさあ\/何時もよう一時(二月二十六日)旬が来れば一時

かかり一時すっきり(仮普請の処)取り払いそれより始める。 後略

    「みかぐら歌に」
十一下り 八ツ やしきの土を掘りとりて  ところかへるばかりやで

九下り 九ツ ここでつとめをしていれど 胸の分かりた(月日の御胸の内)ものはない

八下り 八ツ 山の中へと入り込んで 石(意志)も立木(用木)も見ておいた

    九ツ この木切ろうか(神の胸算用)あの意志と 思へど神の胸次第

    十ド この度一烈に すみきりましたが胸の内

大神様の御胸の内を分からして頂く者は広い世界に只一名一人であると云う。此の証拠は

    明治二十二年八月二十一日
前略 神一条を話しかける。どう云う事を聞く返し\/神一条を聞き澄まし、いつ\/心

一寸人間(本席夫婦)古き道筋(元治元年)通りた道が分かりやせん。通りた夜も昼も見

て(神が)いるで分る。「中略」 ころりと道を立てかへて世界これだけの道を始めかけ

神一条世界一ツの道只一ツの道を始めかけだん\/いんねん(前生の宿命)の理を以て始

めかけたる理という。十分の理を聞き分けてくれにやならん。「中略」小人(人間甘露台

の事)充分どう云う理治まる。(大神様の大旨が分り)世界大きいもう一ツとない一名一

人より(人間甘露台)世上の理が治まるとめん\/それぞれ真の改め、理が分れば分る。

早く通したい(神一条の道を)後略

    「三才童子の事」

 昭和二十四年丑の年は月に取りては十二月となり刻限にとりて丑満頃夜二時

    「昭和二十五年寅年は一月となる」
    「昭和二十六年は卯年は二月となるのです」

二月二十六日になりますからこの年より三年は三日目に芽を吹き卯、辰、巳の年に女一人、

人間甘露台として(国佐土命の働きにより大食天命が芽を切って)出現する。

「この証拠の御指図は」明治三十二年二月二十四日 この御指図は昭和元年より昭和三十

年の御指図なり。

前略 尋ね(人間甘露台)一ツの事情夜に入って(神様の思惑の分らん時)どちらへ行っ

てよいやら道が分らん時に三才童子にてもあちらこちらと尋ねば暗がりと云へ共分る。と

お示しあります。「三才童子とは昭和二十八年より昭和三十年の三年に外へ出るから三才

童子と仰せ下さる」

    明治二十一年六月八日
 前略 上と神と云ふはふたが明きにくい一寸見ていよ細々ながらこの道みんな集まる世

界の道におされるから細々の道許したる(道理上の道)振りかわるところりと変へる\/

神一条の名あげ一つ細々の道(道理上の所)早く理を直せ早く治め(人間甘露台を)おく

(治めねば)しまい一つはあぶってしまへ。後略       時と旬より№3へ続く
 

時と旬より№1

 投稿者:安達  投稿日:2007年 6月 8日(金)10時37分4秒
   チョット振り返って見ます。
 時と旬の小冊子 昭和二十八年九月五日 発行より(全32頁32/4でお伝えします)
 時と旬より№1
    明治四十年三月十三日(旧正月二十九日)
 前略 さあ\/今日はどういう話しかけるかも分からん。(四十年先の話を明治四十年

より昭和二十一年は四十年になる)さあ皆用いるか(おさしづ通りに)\/\/、用いね

ば世界どうしてお詫びするか\/\/。これ知っているか(人間甘露台一条の事)年限数

えてみよ(四十年先の年限)数えてみよ、何時までこんな事通るか。道は皆継ぎ目あるで

\/、継ぎ目知っているか\/知らずになんとぼけている\/、みんなとりぞこないして

いる\/、教祖という道、内からつぶしている。世界の道で立ってあるか\/、学問で立

つと思うか。さあ\/\/世界の機械は何時成りとある。何時成りと買えるで、神のきか

い(神の入り込み社)あるか。ありやしよまい。(天理教本部には)神のきかいは年限の

理つづくが神のきかいである。これ一時に聞き分けて今日に返事してこい。さあ手のあい

た者席運び\/\/今一席連れてこい(神一条の所へ)さあ\/\/決まるもの決まって

こい\/\/早くこういう決まりして来たというてこい。

   明治四十年四月五日 (旧二月二十三日)
  昨夜の刻限読上し後にて尚外に御聞せ被下事有りますれば御聞せ被下度と御願

 さあ\/\/まあ話かけたら大きな話やで(世界に只一人しかない話)大きな話聞いて

大きな事は皆承知しているやろう。中程というは(道理上の道の間)何処迄もいかん\/

\/。いかん事やが大きいしてかかればゆくもの、又どんと話ししかけると云ふたら、と

げにやならぬ出来てこにやならん。また出来てくる。皆何やろうと思う年限という三十年

祭(御教祖、大正五年)三十年祭(本席)三十年祭(人間甘露台の三十年祭は昭和三十年

になる)これもう\/\/、充分の日は(大正十四年入門より)八分まで立ってしもうた

(昭和二十八年まで)三年向こうから(昭和二十八年より昭和三十年の年限)どうでもや

ってもらはにゃならん(昭和三十年には人間甘露台を治める事)やってみよ\/\/出来

る程に\/\/何でもない。あちらこちらどうしてゆこうこうしてゆこうと思案もある思

案の中チョト匂いをかけてみよ。心配することいらん、心配はありやせん。これはこれと

皆派を分けるから心配をせにやならん。そこでよく聞き分け、どうでもこうでも充分働く

心持ってくれ、何処からどういう働き出来るやら知れん。出来てくるこれだけチョット話

しておこう。  「押して三年すればかからして貰うて宜しきやと御願い」

 さあ\/\/どうでもこでも何にも大きな派手な事する事要らぬ。今の式場にチョット

大きいのでよい。どれだけいると元の台くくるから出来ん。(ひな形甘露台を信じていて

はならん)台くくらんとしてみよひとり出来る。

「押して皆心一手にして働きますから本席様の御身上御寛め被下に度い御願い」

 さあ\/\/尋ねる処一段\/尋ねる処二段\/尋ねる処三段\/如何なる事とも(事

情が分からんから)皆案じるから尋ねる尋ねるからチョト話しておかにやならん事ある。

これまで遠くはよい\/\/一年(昭和二十二年)二年(昭和二十三、四年)三年(昭和

二十五、六,七年)だん\/\/のびる事ばっかり、(三段事情分らんから)よう\/

\/という(三段事情出るまでは)一ツ何でもしきって(先の事やから)したていこうま

いまだしばらく\/\/の処(明治四十年の御指図であるから昭和二十七年まで)あちら

こちら日はよほどあるによってその心でいてくれ。

   明治四十年六月五日 午前二時(旧暦四月二十五日)
  今朝の御指図に対し一同会議中の處、
        御本席様身上苦痛激しくに付一同出席直に刻限の御諭し\/
 ウ・・・・・・・・・・・・・・・・・(人間甘露台引き出し)
 さあ\/\/さあ\/又候\/同じ事を\/\/ウ・・・・さあ\/\/(一段二段三

段)今度という今度は(昭和二十一年には人間甘露台建設)もうなか\/の思惑十分まと

まったる。まとまったるによって話かける\/(人間甘露台が出現したから)前々同じ事

返してある。これが第一あちらでどう、こちらでこう言葉という理多かってはどうもなら

ん。そこで言葉の理まとまる。先々の先迄定まったる言葉、これが第一道宝やで、宝迄さ

としたる処、これやりとげにやならん。処々はしばし一ツの宝が分かったとこれだけくど

う\/言うておく。えらいものやと世界から一ツこれはさとし一つの理で心からそなえて

くれる日があるによって、しっかりと聞き取ってくれ。さあ\/\/日々もう此苦しい中

からどうでもこうでもさとしかけた道はさとさにやならん。昨日より(初代本席の時代)

今日(人間甘露台の代)どうこう思う処、思うが理なれどどうでもこれ一ツ(人間甘露台

を)心の事情から、皆々の心に一ツ理うつしてくれにやならん事である。これをよう取り

損ない有ってはならんから、これを取り損ないないようにしてくれ。

   明治四十年四月八日
  押して三軒棟あって一棟建てないという処
   「此の運び如何な事で有り升哉と御願」

 西に余分\/\/(山を越えて西にある人間甘露台は)余分は一人あるわへ、一人こち

らへ\/\/それが気に合わんとすれば今かぎりやで\/\/。ウ・・・・・・もう立て

合い、日の立て合い\/\/、日の立て合いは、正月二十六日(大正元年御教祖百十五才)

二月二十六日(人間甘露台出現昭和二十六年)是日の立て合いや。さあ\/\/何かの事

も自由用と言うてある自由用見せてある。

   明治三十一年八月二日御本席南の方へ普請被下事御願
前略 古い\/中に何処から見たて、何処からながめたて、分かる古い理はこぼれてしま

うよう聞き分け、どうにもこうにもならん処から今日の日迄の年限を見よ(明治四十年か

ら昭和二十六年迄)年限を見れば分かる。この道世界どれだけの道なりたるか。理運ぶ、

今一時になりたんやない、元々どうしようかしらん、こうしょうかしらん、話し合いよう

聞き分け席という。中略 親子諸共(明治十五年に名実共に)屋敷伏せ込んだ理、思て見

よ。あら子供や、あら女やというていてはなろまい。神だましたも同じこと、神がだまし

たのやない。かやし\/話する。十分伝へてくれ、さあ\/普請\/どこへなりと(地場

は何処なりと)さあ\/裏はかじや(お里様)表は大工(御本席)この理(元治元年つと

め場所)何処からでたるか考えてよ。

   御筆先  七号
67 この者は六年以前三月の   十五日より向かい取りたで

 この年限は御教祖様の御昇天の年より以前と仰せ下されてありますから、明治二十年よ

り後へ「六年」くりますと明治十五年に成る。 この年は御本席夫婦が名実共に伏せ込み

となられた年である。「三月」とは明治十四年より後へ三年をくりますと明治十二年にな

ります。「十五日とは」明治十一年より後へ十五年をくると元治元年になります。

 元治元年にお里様の産後の悩みからお助け頂いて身上より御引き寄せなされて、一坪四

方の勤め場所を造られたのであります。そうすると本席夫婦は元治元年に御教祖日様がお

待ちかねにて神一条のお仕事をまかせになりました。 その証拠の御神楽歌の十一下り目

一ツ 日の本しょやしきの 神のやかたの地場定め、二ツ 夫婦そろふてひのきしん これが第一ものだねや 本席夫婦は神いんねんがある故に如何なる難も忍んでお通り下され

たご夫婦である。御教祖日様は大工が来た\/と仰せられたのである事をよく\/思案せ

ねばなりません。 十二下り目 一ツ 一に大工のうかがいに  何かの事もまかせおく
        (神様は二代大工(人間甘露台)に一切の事をまかせておかれた)

 明治三十一年八月二日(一九〇〜一九二頁 P3055〜3057)おさしづ参照して下さい。

・・・年限数えてみよ。一時の理で成りたのやあろまい。出けたのやあろまい。よう聞き

分け。古い\/中に何処からみたて、何処から眺(なが)めたて分かる。古い理はこぼれ

てします。よう聞き分け。どうにもこうにもならん処から、今日までの年限見よ。

(明治四十年より昭和二十六年迄)年限を見れば分かる。この道世界どれだけの道成りた

るか。理運ぶ。今一時に成りたんやない。元々どうしょうかしらん、こうしょうかしらん、

話し合い。よう聞き分け。席という。これまで十年ちょい\/、これまで心聞き分け。

親子諸共伏せ込んで\/。楽しみかけ。姿見えん理楽しんで、影姿も見えん理を楽しんで

通り来たる理すっきり分からん。あのようまだというは、一時これ聞き分けて順序改め、

成程という。真実以て尋ね合い\/、古い事知らん。元々どうなるや知らん。こうなるや

知らん。日柄知らん。知らんはずや。何処にどうしているやらどうしていたやら分からん。

よう年限数えてみよ。 さあ口説き話口説き話しやで。今教会入ったら、もう楽や\/皆

思うなれどかかりどうも難しいてならなんだ。その時杖柱にした。杖としたわい。

・・・いつまで経ってもちょい\/話してやる。誰が順序運ぶ事知らんから、心に浮かぶ

事でけん。よう聞き分けにゃならん。人間々々話、人間と\/の話なら、どうでも成るよ

うと言う。よう聞き分け。親子諸共(明治十五年に名実共に)やしき伏せ込んだ理、思て

見よ。あら子供や、女やと言うて居てはなろまい。神だましたのも同じ事。神だましたの

やない。返やし\/話する。。十分伝えてくれ。 さあ\/普請々々、何処えなりと

(地場は何処成りと)。さあ\/裏はかじや、(お里様)表は大工。(本席様)この理(元

治元年つとめ場所)何処から出たるか考えてみよ。

 さあ\/一点を打って改め替え。建家と言う。今一時言うやない。古い理に棟数三軒々

々この理どういう事。これは聞いた者も聞かん者もある。聞いた者、他に事情普請という

\/。一軒始め又一軒、名は一つ\/。かれにどうする、誰にどうする、順序聞き分け。

親子諸共伏せ込んだ理聞き分け。 後略           時と旬より№2へ続く
 

№18 資料からお伝えします。

 投稿者:安達  投稿日:2007年 5月23日(水)16時12分52秒
             №18 資料からお伝えします。

   明治二十二年三月二十一日 午后五時  御本席身上お障りに付き願

さあ\/\/しっかり、さあ\/きかそう\/どう云ふ事、さあ\/此の処(天理教の所)

このやしき\/さあ\/\/\/もふこれ早く聞き取ってくれ、よのぎほかのぎはういふ

までやない。世界ははやく\/といふてよりくる。さあ\/世界はどんな事もやってみる

\/\/どんな事したとて(神一条甘露台の事は)わかりゃせん\/さあ\/これまでの

道、年(昭和四十八年の年)あける\/三年の年明ける(昭和四十六年より昭和四十八年)

一寸明けたら通れるよふになってある。これまでのむつかしい処は今はまあ通りよいやう

になった。とほくにもあれば、ちかくにもある。さあ\/道の中(神一条人間甘露台の中

の)道さへわかりさへすれば不自由しょうにも不自由はでけん。これ皆筆に知らしたる処

(神一条より)紙に書いた物を持ってゐてさへ分かりやせんから一度や二度で聞いたとて

分からんはづや(天理教の道は筆先丈で肝心のお指図を用いんから大神御教祖様の大旨が

分からず神一条よりお知らせしても分からんのは当然の事である)伏せ込み\/(天のさ

しづを)と云ふは皆これよふ聞いておけ。伏せ込み\/と云ふはどういふ事やら分からせ

ん。三年前の後の道(昭和四十六年より七・八年の事)またこれから先の三年を思案して

の道の中の三年の中の理分かるもひな形(昭和四十九年・五十年・五十一年の三年の年限

中甘露台ふしんの年限の理)みな\/たがい\/に研究して日々運べば、取り次ぎの古き

道の理(天保九年元伏せ込み)と又世界の道理の理と諭せば(初代本席御逝去の年よりの

事を聞いたら)神の働き、どんな働きをするやしれんで、今迄にもめんぼくない事(お指

図を天理教の人等は勝手解釈で)が何遍もあったで、分からんも一ツのひな形、分からん、

ひな形はいらんと云ふやうなものや。なれど、わからにやしょうがない(御教祖のお出し

下されたおさしづ用いんから仕様がない)さあ\/おまいもいこうか、わしもいこふと、

いふて来たのやない。最初のかゝり一人もどんならんといふた日もある。ながらゑての道

は(天保九年からの長い年限であるから)一寸にはいかん。なにもかもみんな取り混ぜて

話しおこふ。これからは又々はなさう(三年、三年の道中を)話しかけたらどんな話し持

ってかへるやら知れんで(神一条人間甘露台が珍しい話しをする)さあ\/日々席をする

\/と云ふ(二代本席話しをする事聞き分けて)これまでにもくどうに説いたる処(昭和

十六年よりお知らせしたる)どんな事でも皆受け取る(大神様は)思ふよふ、そこで、め

ん\/ぜん\/の席がむつかしい事はないのやで、どんな事でも受け取ると云ふて、諭し

あるといへども、さあ\/日々取り次ぎの席(二代本席)のかゝり一ツの諭しはむつかし

いのやで(親様の御心分からんから)今の道(神一条の道)になんぼほど、めんぼくや分

からんで、さあ\/古き事をめん\/年々理が積もれば皆分かり来る。けふも一ツの道、

よるも又一ツの道、あの者はほっておけ、この者なればさがしてなりといふ、これが第一

いかんで。

天理教の人等は我利我欲で勝手ばかり説いて信者等に教え導いて居られろ事は天の御残念

御教祖様の御胸の内のくやしさ、たとへ様も有りません。しっかり神一条よりの送り物を

読んで一日も早く一手一ツになって神一条よりのお知らせ聞き分けて下さいませ。

 御教祖様のお言葉ですから旬をはづさない様しっかりお読み下さいませ。

   昭和四十九年一月十日       神一条教本部  玉水仙
 

№17 資料―2よりお伝えします。

 投稿者:安達  投稿日:2007年 5月21日(月)16時44分36秒
  №17 資料―2よりお伝えします。
    明治二十一年六月三日 旧四月二十四日 十時頃
  「本席御身上障り付きおさしづ」
前略 一ツ事情分かりがた無い 刻限、理を持って話しする。これまで急き立てたる理、

早く甘露台珍しい事を云ひかけ又、始めかけ、甘露台一条世界にある事は言わん。これか

ら神の云ふ様にする事、だん\/聞かす、だん\/たち来たる(年限が)はんぜん理分か

りがた無い。これから天理運ばねばならん。世界ある事情はいらん、(各宗教は大神の大

旨が分からんから神一条を踏み止めねばならん。)せいでもよいものや、通るに通られん

(人間思案の心では)世上の理に迫る一寸一ツ指図いつ\/までの事情(天理教も人間心

ではならんからお指図一条で立つ神一条の道でなくばならんとある)事情は甘露台早くな

るならんではない(神一条人間甘露台を連れて通るから早く踏み止めねばならん)連れて

通る(人間甘露台を)世上(天理教の道)理、世界の理この事は五十年以来一年理を見て

どふ云ふ分かり(文久二年より大正元年は五十年の年限は一と仕切ると仰せあります。)

古き者を向かい取り一寸心に掛かる、一ツ理、神一条大切な理と云ふは、古き者や、新し

き者や一人ではない。註=(明治二十六年にお里様御逝去なされるまでに明治二十二年に

理を受けて古い理を新しい道を付けさすために五十年間の道中の苦労をさしてお仕込みの

道中であろう)皆いんねん(いんねんよせて守護する)古きもの失ふ、理失ふ、よふこの

理聞かねばならん。みな追々すみ\/心を以て甘露台理を聞かす。又々刻限まちて知らそ。

註=(人間甘露台出現して神一条お指図を説いて聞かすから心澄まして、しっかり聞けと

仰せあります。天理教の道は天より御命令受けたお方はありません。天保九年より五十年

は明治二十年御教祖親様、御昇天、それより御身体かくれて神一条のために古き者を引き

出して子供育て事情の御苦労下されて明治二十六年より五十年は昭和十七年泥海古記の年

限、台五十四才の年は九億九万九千九百九十九の終わりの年。神一条の道に子供成人待ち

かねてお引き出し下された年限であります。台生まれた年より昭和十二年に御教祖様の大

旨の石の甘露台祈念碑を取り払うて、人間甘露台を据へよと仰せある事を聞き分けずに何

時までも\/人間甘露台を踏み止め出来ずにいては神の御残念現れたら申し訳ありませ

ん。一日も早く聞き分け下さる様にお勧め申します。)

  明治二十一年七月三日 旧六月二十四日 本席様お障りに付きおさしづ
ぢばえらい事いふ\/さあ\/ぢばの一ツ\/の理いそぐ\/何をいそぐ、いさゝかなる

処、理を始めやう、何の思案もいらん、思案はいらん、前々の理を一ツ甘露台一ツの理(指

図一条筆の先よりする。神一条人間甘露台の事)一ツ理なんにもいらん(大神の御自由用

によりて人間甘露台一人さえあれば世界治める事出来るとあります。)神一条の理治めば

なんにもいらん。世界の事は云わん。(人間甘露台は指図一條の道であるから人間心はさら\/ありません。)

  明治二十一年十二月二十四日 午後一時半
地場だけなら、昔からも同じ事(天理教の所は(この所大和の地場の神型と云うていれど

も元知らん)と仰せられてあります)今の所けいこやと云ふ。

 註=(天理教の道は人間甘露台を出現まではけいこやと云う。又臨時見習いと云うてあ

りますから、如何に年限が古くても人間工夫こらしても、利口、発明人でも神の理・気・

智を借りる事出来ねば大神様より御自由用はありません事をよく\/考えねばなりません。)
  明治二十一年六月二十三日 旧五月十四日
前略 甘露台一ツ人間定めてある。何でも一日に日ある。楽しみあると云ふ事治めて貰いたい。

  明治二十三年十一月二十一日 旧十月十日 午後八時半 「刻限はなし」
前略 出て指図、また出て聞かし、又々指図通りの道やなければ通れん。(印を持ってめ

ど、何処にどう云う印があるかどうのこうのお言葉よく心に治めて大神様の大旨を聞き分

けねば、御自由用を頂く事が出来んのであります。)

  明治二十八年十月十二日
前略・・・・文字も分からぬ者でも道に使ふ理を聞き分け、所には名稱下ろしたる。そも

\/から治まらん(天理教の人等は疑いの心から真の取り違いしておられる)一ツ真が元

である。真が狂うから間違う、間違うから治まらん。二度三度運ぶ理を聞き分け。元と云

う、地場と云ふは(人間甘露台の身体をぢばと仰せられてあります。)世界もう一ツとな

いもの、思へば思ふ程深き理、古い者埋もれてあるといふはよふ聞き分け、人間の心では

分からん。分かりかけたら分かる。(台が出て指図一条説くから)古い者は、所々出るに

出られんと云う、よう聞き分け。理の取りようで軽くなる。出て来る理で成ると聞き分け、

誰彼は一寸には云わん、ほんにこれは成程と考へ出して、これとこれと、あざやかさらへ

てくれ、誰にこうして、彼にこうせいとは云わん、理からかゝりてくれ、何時からかゝる

とも云わん。かゝれば皆育つ、育て心を持って治めてくれ、あちらに一寸かこいがあって

(天理教の所に関をつくりている)これがどうも一ツとんと、あざやかならん。これ聞き

分けるなら、何も危なき、こわきはないと諭し置こう。
   明治三十七年八月二十三日
前略・・・・・さあ\/もうどうでも一ツ台と云ふて元と云ふ者なくば世界承知出来やせん。・・・後略
何もかもお指図通りであります。神一条の所には飾りも何もありません。ありのまゝです

からご承知下さいまして大神様の思召しに従うて聞き分け下さる事をお勧め申します。

御一同様御身御大切になし下さいませ。神かけてお祈り申し上げます。 合掌

 昭和四十六年六月二十二日    神一条打明場所   玉水仙拝書
 

№17 資料―1よりお伝えします。

 投稿者:安達  投稿日:2007年 5月21日(月)16時42分37秒
  №17 資料―1よりお伝えします。
    明治三十年四月四日 夜 (続いて刻限)
さあ\/尋ねかける\/尋ねかけたら一ツ理さとしおこう。大きいものにたとへならん理、

たとへよく聞き分けにゃならん。これまで万事身上でも、指図刻限事情でも幾度も悟たる。

又一ツなりたる事情もある。神はほっておけ。捨てゝおけとはいわん。そのまゝ\/ も

う何でもかでも年が明けたら事情、これまで目に見るに見られん。聞かすに聞かれん事情

なれど真実しんの事情だけ治まれば、今日の日と云ふ、さあ尋ね指図やない。刻限事情と

かわるで。(大神様の大計画の大旨の指図一條、人間甘露台の事情さえ治まれば世界太平

となる。刻限事情早く踏み止める事を)さあこれ迄尋ね\/あちらへはしり、こちらへは

しり何も知らん者ばかり通りてやう\/道、やう聞き分け(神の大旨が分からんからどう

もならなんだ、神の御残念をよく聞き分けねばならん)ならんものに無理に来いとは云わ

ん、来る者に来なとは云わん。これ一ツ古き咄に残したる。これだけ心だけの道見えた道、

年限数へて見れば向こうにあるやら後にある空にあるやら、今日の日分からいではならん、

きげんに向いたら行くは、きげんにむかにゃいかんは今日の日見えるか。今日の道立てに

やならん、(もんかたのない道であるから)たたさにゃならん、(神一条の所にてお指図

一条をしっかり聞き分けねばならん)神が出てかうと人足まわしするやうなもの、まあ

かたい心いだいて(人間心を通そうと考へていた後で後悔は後に立たん)取り返しならし

よまい。神が捨てるやない。なんぼ大切なものでも、めん\/から捨てゝかゝればどうも

ならん。何程つなぎたいかて、真の心から事情の理切れたら(人間甘露台を第一踏み止め

る事が第一かなめである)どうもならん、事情にかぎりと云ふ理ある。この限り一ツ理も

同じ事。『神の大旨は年限の理で分けてある事をしっかり心に治めねばなりません。』

  明治二十八年十一月十四日  御教祖様の御普請御許願い

さあ\/尋ねる処\/さあ事情諭そう、これ\/よう聞き分け、もうこれ十年祭\/十年

祭と思うも一ツの理、思わにゃなろまい。註=(御教祖様の三十年祭一ツ印をつけてある

事を思わにゃなりません。前管長公(眞之亮)御逝去の一ツの印打ってある事を知らねば

成りません)よう聞き分け、元と云ふ(二世重々の台である事をよく知らねばなりません)

どう云ふもの元の普請出来ん(普請と云ふてありますのは人間甘露台を踏み止める事云う

てある)どう云ふ者これが世界の大道やで(神一条の処)先々育て(神一条の道のために

お仕込み下されて元の因縁の者をお育て下された)成人したらどんな処から、どう云ふこ

と出けるやしれやせん。何も分からせん。(ひな形の人等は御教祖様の胸の内を知らんか

ら)もう十分子供成人したら(年限立ったら)思うやうになる。成人中では(人間甘露台

の)思案と云ふ理出けたら、どうもならん、処々成程の理治まりたら、一時になる。なら

んとも云わん(神が仕立てゝみせる)親と云ふ、子供と云ふ、子供十分さとして親が楽し

む。(御教祖様がつきそうてお育て下されて) 「押して願い」

まだ不都合やで\/よう聞き分け(雛型の人等は人間甘露台を踏み止める事が出来んから)

どういふもの十年祭が切りやと云ふ心どうもならんで\/。

 註=(大正十四年にひな形の道に授け頂いて世界助け一条に進んだ年には型があっても

    御教祖様の大旨の台が出て来たので一ツの切りである。)

   「押して教長公御普請願い」
かりや\/かりやにかゝりて、かりやの心を持ってするがよい\/かりや\/その日\/

にいるものや、よう聞き分けてくれ\/。(御教祖様の大旨は人間では分からんから教長

公の御普請を聞いてもかりや\/と仰せあります。)

 註=(この御指図は御教祖様の三十年祭一ツの印をして前管長公御逝去の年、それから

十年は子供成人して大正十四年に助け一条の道にお引き出し下された「丑の年」にお仕込

み下さる道中であります。「御筆先七号一をご参照下さいませ」 雛型の人等は年限の理

が分からんから、まだ不都合やと仰せあります。それで分からんから教長公の御普請お願

いの時のお指図に「かりや\/\/かりやの心を持ってするがよい」と仰せられてありま

す。)(御筆先七号一には台三十八才である事を証拠に出しております。)
1 月日より三十八年以前にて 天降りたる元のいんねん
2 月日よりそのいんねんがある故に 何か委細を話したいから
3 上たるはそれを知らずに何事も 世界並みやと思ているなり
 註=(天理教の人等は人間甘露台の普請を急き込んでいられる事を知らずに)

4 この処元なるぢばの事ならば 初まり出しを知らん事なし
 註=(神一条の人間甘露台を仕込まれた処なり。地場とは人間甘露台の身体を指して仰    せある。)

5 上たるへこの真実をはやばやと 知らしてやろと月日思へど
 註=(天理教の雛型の所と云う事)
6 上たるはそれを知らずにめい\/の 我が身思案をばかり思ふて
 註=(天理教の人等の事)
7 月日にはだん\/見える道筋に こわきあぶなき道があるので
8 月日よりその道早く知らそうと 思て心配しているとこそ
9 人間の我が子思うも同じ事 こわきあぶなき道をあんじる
10 それ知らず皆一れつはめへ\/に 皆うっかりと暮らしいるなり

11 この世界なにかよろづを一れつに 月日支配をすると思へよ
12 この話どふ云ふ事に思ふかな これから先の道を見ていよ
13 どのような高い山でも水がつく 谷底やとてあぶなきはない
 註=(天理教の事であります。水がつくとはおさしづの事であります。)

14 何もかも月日支配をするからは 大き小さい云ふでないぞや
 註=(大きいと言うてありますのは天理教の人等はこれだけ大きいからつぶれる事はな

 い言うて居られる事を反省しなければなりません。小さいと言うてありますのは神一条
 の所であります。あんな小さい所から何を言うていると言うて相手にしませんから)

15 これ迄も何でも用木ほしいから たいてい尋ねていたるなれども
16 この度は谷底にてはちょとしたる 木がたつぷり見えてあるなり
17 この木もだん\/月日手入れして つくりあげたら国の柱や
 註=(人間甘露台の本名の事)

18 それからはにち\/月日見定めて 後の用木の模様ばかりを
19 それよりもひねた木からだん\/と 手入れ引きつけ後の模様を
 註=(元のいんねんの者の事であります。)

20 にち\/に月日思惑深くある 同じ所に二本三本
21 この木もめまつおまつは云わんでな いかな木も月日思惑
22 この後は何の話しをするならば 用木の模様ばかり云ふなり
 註=(大神様はこれから先は用木の仕拵らへすると仰せあります。陽気とは言うてあり
    ません。)   御筆先  十七号
1 今迄は何の道やら知れなんだ 今日から先は道が分かるで
2 この道はどふ云ふに事に思うふかな 甘露台の一条の事
3 この台をどふ言ふ事に思ている これは日本の一の宝や
4 これをばな何んと思ふて皆の者 この元なるを誰も知ろまい
36 それ故に甘露台を始めたは 本元なるの処なるのや
 註=(神一条の処で始める事と言うてあります。)

37 こんな事始めかけると云ふのもな 世界中をたすけたいから
45 今日の日はもふ十分に積んで来た 刻限来たらすぐにかやすで
46 この日はな何時の事やと思ている 二十六日が来たる事なら
 註=(この二十六日は二十六年の事であります。天保九年より文久三年には本席様夫婦    がお里様の身上にて引き寄せて神一条のお仕込みなされる初めの年であります。)
元治元年より明治二十二年八月三日旧七月七日産まれた年。御教祖様は子供育て事情にか

ゝられるのであります。 神一条の道の下こしらへの年限、二十六年は明治二十二年より

大正三年は二十六年御教祖様三十年祭、この年に前管長公(眞之亮)御逝去にて一ツ印を打ってあります。
明治三十六年(父上死亡の年)より二十六年は(この間は苦労の道中をお通し下された)

昭和三年に一ツ印を打って台、ひな型のお授けを大正十四年に頂いて、昭和三年別科第三

十九期を卒業。それから助け一条に一生懸命進んだのであります。昭和元年(御筆先七号

の一にある様)に台三十八才この年より二十六年は昭和二十六年卯の年に引き出して御筆

先十七号45に「二十六日始めかける」と仰せあります。天保九年戌ノ年より百十年の年

限を経て理の誕生、理の台、人間甘露台として赤衣の初着式を行うた年であります。

また、昭和十七年(泥海古記終わりの年)より二十六年は昭和四十二年未ノ年に二代管長

公御逝去されて一ツ印を打ってあります。この年限はいずれも二十六年になります。

47 それからは何でもかでも真実の 心をそれ\/皆現わすでと仰せあります。
48 こんな事何で云ふやと思ふなよ 可愛いあまりで云う事やでな
49 月日には世界中の子供はな 可愛いばかり思ているから
50 それ故に世界中を何処までも 胸の掃除をしたいゆへから
51 この掃除どう云ふ事に思ている 助けばかりを思ているから

52 助けでも悪しき直する迄やない 珍し助け思ているから

53 この助けどう云ふ事と思ふかな 病まず死なずに弱りなきやう
 註=(末代迄も名を残すと仰せあります。)

54 こんな事今迄何処に無い事や この証拠を知らしたさやで
55 これ迄は何処尋ねても無い事や この度神が初めたさやで

56 今日迄はどんな道やら知れなんだ これから先は道を知らする
57 この道はどう云ふ事に思ふかな 月日残念一条の事
   御筆先  三号
108 今迄は証拠だめしとゆてあれど 甘露台も何の事やら
  註=(天理教では石の甘露台は記念碑としてあるから)

109 この者を四年以前に向かい取り 神が抱きしめこれが証拠や
  註=(神一条を仕込むためにお里様を明治四年にお屋敷に向かい取り下された事を仰     せあります。)
110 真実に早く返する模様立て 神の急き込みこれが第一
111 これ迄は自由用自在とまゝとけど 何も見えたる事はなけれど
112 これからはいかな話しも説きおいて それ見えたなら自由用自在や
  註=(人間甘露台指図一条説くならばとの事)

113 今迄の事は何にも云てくれな 二十六日に始めかけるで
  註=(今迄は二十六年毎に一ツ\/印を打ってある事をよく考えねばなりません。)

114 これからは世界の心勇みかけ 日本治める模様するぞや
115 人間の心と云ふはあざのふて 見えたる事をばかり云ふなり
116 これからは無い事ばかり説いておく これから先をたしか見ていよ
 

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