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妙真珠よりその9
◎ 泥 海 古 記 一 説 三 十 一 宮 ◎
大和三十一宮、神の打明場所、日本国神代神方元の地場にて元なる古記あり、天降る道、
大和三十一宮とは三十年、即ち、三十年祭に一人の女が是は大和姫が出現して一ツの宮に
治まると云う。神の打明場所とは右(上)の女が一ツの名を以て一ツの宮から天の月日の
名代として月日の思惑をだん\/人間に説いて聞かして下さる所である。又何一ツとして
判(わか)らんと云う事はない所との云う事である。又日本国とは月日様の御住居なさる
国を日本と仰せられ、この御神意は甘露台様の身の内を日本と仰せられたのであります。
今はまだ\/真実の親を見止める力のない世界を唐と云う。又山の中と云う。是からだん
\/と今度んの御事情を甘露台様より理のお咄(はなし)を聞かして頂いて日本と云う事
になります。又神代神方(かみよかみかた)とは月日御両神の御名代甘露台の事を日本と
云うも一ツの意義である。又、元なる地場にて元なる古記ありと云う事は元人間始めた親
が元々の因縁ある魂(たましい)に月日入り込み、天より呼び名を甘露台と改め、この度
又神代神世(じんだいかみよ)の始め出しと云う事で何から何迄元と云う理に御成り下さ
る。不思議の古記の因縁があると云う事であります。又天降ると云うことは月日様が甘露
台へ御入り込みに成る事を仰せられたのであります。又人間は水中住居は九億九萬年、地
に上がりて六千年、残り三千九百九十九年は人数の年限は天保九年なり、初め七日で大和
に生みおろした人数は日本中にある。山城、伊賀、河内の三ヶ国に十九日かゝりて生みお
ろしあり、その後は四十五日外なるの残る国々生みおろしあり、この人間が唐天竺(から
てんじく)へ渡り行くなり、人間元の住所は海川なり、魚が集まりその中へ天より粉を蒔
(まか)しめたるにこの粉を結構と思わず、まだ\/甘き物無きかと方々を走せまわり食
物にては喰(く)いまわり、終りに甘露の無い地に行ってしもうた。是を唐天竺へ上り行
くなりと云う事である。今日一日この甘露台と云う。理を地場の本真として三社三棟が出
来上がり国の元と云う。その屋敷に八棟八商売が出来て何一品他に買いに行く事入らん、
何不自由無い様に成ると云う、又世界の故郷なれば表門には南無天照皇大神宮、裏門には
南無天理王命存命と云う札を上げさす。是世界第一の参り所に一柱につき二人づゝの控柱
(ひかへばしら)が入る神楽勤めは七十五人を世界の山中にある用木を引出す。又其の決
員の中に用木に成らん者あり、この所は四方正面鏡屋敷なり、尋ねたら皆生まれ元なり。
早く真実定めて甘露台と一ツ心に成って尽くすなら、天のあたへはどんなものでも叶うも
のなり。末代楽しみの台である。学者も炊事人も皆道具である。又人数揃うて出かけるの
で飯米は一日に二十石を炊き出すと云う。又このたび月日の残念現れたら、欠伸(あくび)
してころり、又ハクションしてころり、道あるいて立ち往生、畑で鍬(くわ)立てゝそに
まゝと云う。何時々々どう云う事見るやら知れん、又聞くやら知れん、最早その旬に迫っ
て来てある。人の事と思うては成らん。今日から毎朝毎晩さんげ\/を忘れてはならん。
これ迄、御仕込み頂いた様に心より細道通る心地して甘露台様へ共にお縋(すが)り申し
て日々行く、日々迫る多くの中やさしい心で南無甘露台様とお唱え申して通るなら末代名
を残し古記も出来る。何時に成っても不自由無い様になる世となります。
是が神一条の道の世界であり、又第一御自由用と云うは助かる理でありますが、又甘露台
は風の屋敷の親であるから、この台をかるがるしく思うていると風の理で飛ばされてしま
うのである。又人間は元泥海中に住んで居た、その年限は九億九萬年(明治二十二年より
三十九年迄)なり、水中を離れて地に上がり六千年(明治四十年より同四十五年まで)は
智識の仕込みの年限である。残り三千九百九十九年(大正二年より昭和十七年まで)は書
物、学問の仕込みの年限、その向う(昭和十八年より)は心の仕込み、理の仕込み、この
道を通りぬけたら、神様の思召(おぼしめし)の所まで神様より、連れて通りて頂くので
ある。是が最初神様が元無い人間をこの世に生み出して下された大慈悲の御神意でありま
す。
◎ 観 無 量 寿 経 の 中 に ◎
彼(かの)阿弥陀如来を観ずるには直(じき)に真仏(しんぶつ)を観ずることが出来な
いから、先ず仮(かり)に其(その)真仏をうつしたる仏像を観ぜよ。」と示してありま
のは、釈迦存命の時には真仏を拝むことが出来ませんから、仮に仏像を拝ませてあったの
であるが、末法満年に真仏を観ずることが出来るから釈迦は弥勒(みろく)に教へておか
れたのであります。今は既(すで)に時、旬が到来したのでありますから真仏を探究する
ことが第一であります。
◎ 無 量 寿 経 の 中 に ◎
猶(なお)し大乗の如し、群萌(ぐんもう)を運載(うんさい)して生死(しょうじ)を
出(いだ)すが故(ゆえ)に。猶(なおし)重雲の如し。大法雷を震(ふるい)て未覚(み
かく)を覚(さと)すが故に。猶し大雨(だいう)のごとし。甘露の法を雨(ふら)して
衆生を潤(うるお)すが故に。金剛山のごとし。衆魔外道(しゆまげどう)も動すこと能
(あた)わざるが故に。梵天王(ぼんてんおう)のごとし。諸(もろ\/)の善法(ぜん
ぽう)に於(お)いて最上首なるが故に。尼拘類樹(にくるいじゅ)のごとし。普(あま
ね)く一切を覆(おゝう)が故に。優曇鉢華(うどんはちげ)のごとし。希有(けう)に
して遇(あい)がたき故に。金翅鳥(こんじちょう)の如し。外道(げどう)を威伏(い
ふく)するが故に。諸の遊禽(ゆうきん)のごとし。蔵積(ぞうしゃく)する所無きが故
に。猶し牛王(ごわう)のごとし。能勝(よくか)つものなきが故に。猶し象王(ぞうお
う)のごとし。能(よ)く調伏(ちょうふく)するが故に。獅子王(ししおう)の如し。
畏(おそ)れる所なき故に。貝広(ひろき)こと虚空の如し。大慈(だいじ)等しき故に。
註=(又譬(たと)えを以てその利他(りた)の徳を顕(あらわ)して見れば。一切衆生
を載(の)せて生死の苦海を脱出せしむること。殆(ちょ)ど大白牛車の様である。
乃至大慈悲平等なることは殆(ちょう)ど虚空の平等なる様である。次に説法堪任(たん
にん)の徳を嘆(たん)じて見れば、他の盛(さか)んなることを妬(ねた)み人の勝(す
ぐ)れたるを忌(い)まざるが故に。只一途(ただいちず)に法を論ずることを求めてあ
き足(た)りない。而して説法は長きを厭(いと)わず。或(あるい)は法鼓(ほうこ)
を撃(う)ちて大衆を集めるなぞして智慧(ちえ)の日光を以て愚痴(ぐち)の昏闇(こ
んあん)を破(やぶ)り。身口意(しんくい)の三業同戒同施同見(さんごうどうかいど
うしどうけん)の六和敬(ろくわきょう)を修して常に説法して而(しか)もその志を励
(はげ)まし更に心の撓(たわ)むと云う事はない。
虚空蔵菩薩は丑の年であって弥勒をさして云う。真実を解くのであります。虚空蔵菩薩は
女であります。弥勒菩薩は大白牛車に乗って真実を解く。その証は「多羅儀軌経(たらぎ
ききょう)に文殊、勢至、虚空蔵、弥勒等の菩薩は皆多羅母観世音(みなたらもかんぜお
ん)より出生(しゅっしょう)す。」と説き示しあります。
◎ 観 世 音 利 生 記 の 中 に ◎
仏教にては「都(すべ)て仏法の道理は三業相応(さんごうそうおう)せざる行(ぎょう)
は結縁の善根となって広大(こうだい)の現益(げんやく)を得ずと申すは大小顕密(だ
いしょうけんみつ)の掟(おきて)なり。是故に有信の行者は意(こゝろ)に念じ口に唱
(とな)へて希(ねがわ)くば必ず三業を相応すべし」と示しあります。
◎ イザヤ書 第四十二章 一七節に ◎
刻(きざ)みたる偶像(ぐうぞう)に頼(たの)み鋳(い)たる偶像に向いて汝等はわれ
らの神なりと云う者は、退(しりぞ)けられて大(おゝい)に恥(はじ)をうけん。と御
示し下されてあります。
◎ マタイ伝 第十六章 二八節に ◎
誠に汝等に告(つ)ぐ、こゝに立つ者のうち人の子のその国(今生の名)をもて来たるを
見るまでは死を味はぬ者どもあり。と御示し下されてあります。
◎ 天 理 教 お さ し づ に ◎
前略 「又々聞いておけ、みな\/一ツ\/の理も分かるであろう。今の処世界一ツの道
\/。今の処一寸の道である一度の咄し、生涯一ツの理珍しい一ツの台\/咄し、今(御
神言のでた年から)の今までは、あろうまい。ながらへて(世の初めから神が仕込んで)
連れて通りた一ツの処(神一条の処)年限ある\/ながらへての一ツの道である。この処
の理を一ツ思案せ」 後略
お筆先 四号 四一
あすにちはなんでもたのみかけるでな かみいちぢよにつかねばならん
お筆先 一号 五五
いままではながいどうちゆみちすがら よほどたいくつしたであろうな
このたびはたしかなるまいりしよ みえてきたぞへときしんをせよ
このさきはながいどうちゆみちすがら といてきかするとくとしあんせ
◎ ヨハネ 第一書 第五章 一九節 ◎
我らは神より出(い)で全世界は悪しき者に属(ぞく)するを我らは知る。20、また神の
子既(すで)に来たりて我らに真(まこと)の者を知る知識を賜(たま)いしを我らは知
る。而して我らは真(まこと)の者に居(お)り、その子イエス・キリストに居(お)る
なり、彼は真の神にして永遠(とこしへ)の生命(いのち)なり。21、若子(わくこ)よ、
自(みずか)ら守(まも)りて偶像(ぐうぞう)に遠(とう)さかれ。」と神は人の子に
入り込み給いし証(あかし)は確かなりと詳しくお示し下されてあります。
◎ 三 位 一 体 と は ◎
月=== 日=== 風 御神言を吹き分け ──┐ 月 み
‖ ‖ ‖ │ 日
水=== 火=== 魂 甘露を受ける台 ──┤==入 の
‖ ‖ ‖ │ り
鏡=== 剣=== 珠 この三ッの理を持って ──┘ 込 宮
「三 位 一 体 の 理」
月日入り込みの宮として御神言を鏡の如く正しく映(うつ)るので、息をかりて風で吹き
分け、言玉をはき、末法に泥海世界を清く正しく導きて、剣で悪難を除け、むほんを払い
の守(まもり)致す事は、月日二神のこの世最初からの大計画の大聖旨であります。
明治二十年一月二十四日 おさしづに
さあ\/月日がありてこの世界あり。世界ありてそれ\/あり、それ\/ありて身の内あ
り、身の内ありて律あり、律ありても心定めが第一やで、さあ\/実があれば実があるで、
実といへば知ろまい、真実と云うは、火、水、風、さあ\/実を買うのやで、価をもって
実を買うのやで。」と仰せ下されてあります。日月風はこの世になくてはならん三原素で
あります。
明治二十二年八月二十一日 おさしづに
前略 内々(天理教の道は)どうもならんからころりと道を立てかえて世界これ丈の道を
始めかけ、神一条世界一ツの道、只一ツのの道を始めかけだん\/、いんねん因縁の理を
もって始めかけたると云う理をもって始めかけたる理と云う。充分理を聞き分けてくれね
ばならん。何年の理をはかる心に一ツの理がどうなりこうなり充分治まるこの事情、後略
明治二十二年九月十七日 おさしづの中に
前略 皆よう聞いておけ、もうしばらくの処、神一条の道にしてしまう。日々取扱いなる
程これでこそ、神屋敷天の理、いつ\/迄も残ると云う、そこで、もう一寸前々よりも伝
え咄し、刻限の理が分りがたない。これからは皆心を継ぎ合い人間心で定めた理は、どう
も続かん、何かの事頼みおく。 後略
明治二十二年十月二十三日 おさしづの中に
前略 人間心すっきり入らん、もうこれから神一条と云う道を立てにやならん、
立てささにやならん、立てさして見せる。 後略
妙真珠よりその10へ続
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