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№22 妙真珠よりその9

 投稿者:安達  投稿日:2007年 8月 2日(木)00時11分18秒
       妙真珠よりその9
    ◎ 泥 海 古 記 一 説 三 十 一 宮 ◎

大和三十一宮、神の打明場所、日本国神代神方元の地場にて元なる古記あり、天降る道、
大和三十一宮とは三十年、即ち、三十年祭に一人の女が是は大和姫が出現して一ツの宮に

治まると云う。神の打明場所とは右(上)の女が一ツの名を以て一ツの宮から天の月日の
名代として月日の思惑をだん\/人間に説いて聞かして下さる所である。又何一ツとして

判(わか)らんと云う事はない所との云う事である。又日本国とは月日様の御住居なさる
国を日本と仰せられ、この御神意は甘露台様の身の内を日本と仰せられたのであります。

今はまだ\/真実の親を見止める力のない世界を唐と云う。又山の中と云う。是からだん
\/と今度んの御事情を甘露台様より理のお咄(はなし)を聞かして頂いて日本と云う事

になります。又神代神方(かみよかみかた)とは月日御両神の御名代甘露台の事を日本と
云うも一ツの意義である。又、元なる地場にて元なる古記ありと云う事は元人間始めた親

が元々の因縁ある魂(たましい)に月日入り込み、天より呼び名を甘露台と改め、この度
又神代神世(じんだいかみよ)の始め出しと云う事で何から何迄元と云う理に御成り下さ

る。不思議の古記の因縁があると云う事であります。又天降ると云うことは月日様が甘露
台へ御入り込みに成る事を仰せられたのであります。又人間は水中住居は九億九萬年、地

に上がりて六千年、残り三千九百九十九年は人数の年限は天保九年なり、初め七日で大和
に生みおろした人数は日本中にある。山城、伊賀、河内の三ヶ国に十九日かゝりて生みお

ろしあり、その後は四十五日外なるの残る国々生みおろしあり、この人間が唐天竺(から
てんじく)へ渡り行くなり、人間元の住所は海川なり、魚が集まりその中へ天より粉を蒔

(まか)しめたるにこの粉を結構と思わず、まだ\/甘き物無きかと方々を走せまわり食
物にては喰(く)いまわり、終りに甘露の無い地に行ってしもうた。是を唐天竺へ上り行

くなりと云う事である。今日一日この甘露台と云う。理を地場の本真として三社三棟が出
来上がり国の元と云う。その屋敷に八棟八商売が出来て何一品他に買いに行く事入らん、

何不自由無い様に成ると云う、又世界の故郷なれば表門には南無天照皇大神宮、裏門には
南無天理王命存命と云う札を上げさす。是世界第一の参り所に一柱につき二人づゝの控柱

(ひかへばしら)が入る神楽勤めは七十五人を世界の山中にある用木を引出す。又其の決
員の中に用木に成らん者あり、この所は四方正面鏡屋敷なり、尋ねたら皆生まれ元なり。

早く真実定めて甘露台と一ツ心に成って尽くすなら、天のあたへはどんなものでも叶うも
のなり。末代楽しみの台である。学者も炊事人も皆道具である。又人数揃うて出かけるの

で飯米は一日に二十石を炊き出すと云う。又このたび月日の残念現れたら、欠伸(あくび)
してころり、又ハクションしてころり、道あるいて立ち往生、畑で鍬(くわ)立てゝそに

まゝと云う。何時々々どう云う事見るやら知れん、又聞くやら知れん、最早その旬に迫っ
て来てある。人の事と思うては成らん。今日から毎朝毎晩さんげ\/を忘れてはならん。

これ迄、御仕込み頂いた様に心より細道通る心地して甘露台様へ共にお縋(すが)り申し
て日々行く、日々迫る多くの中やさしい心で南無甘露台様とお唱え申して通るなら末代名
を残し古記も出来る。何時に成っても不自由無い様になる世となります。

是が神一条の道の世界であり、又第一御自由用と云うは助かる理でありますが、又甘露台
は風の屋敷の親であるから、この台をかるがるしく思うていると風の理で飛ばされてしま

うのである。又人間は元泥海中に住んで居た、その年限は九億九萬年(明治二十二年より
三十九年迄)なり、水中を離れて地に上がり六千年(明治四十年より同四十五年まで)は

智識の仕込みの年限である。残り三千九百九十九年(大正二年より昭和十七年まで)は書
物、学問の仕込みの年限、その向う(昭和十八年より)は心の仕込み、理の仕込み、この

道を通りぬけたら、神様の思召(おぼしめし)の所まで神様より、連れて通りて頂くので
ある。是が最初神様が元無い人間をこの世に生み出して下された大慈悲の御神意でありま
す。

     ◎ 観 無 量 寿 経 の 中 に ◎
彼(かの)阿弥陀如来を観ずるには直(じき)に真仏(しんぶつ)を観ずることが出来な
いから、先ず仮(かり)に其(その)真仏をうつしたる仏像を観ぜよ。」と示してありま

のは、釈迦存命の時には真仏を拝むことが出来ませんから、仮に仏像を拝ませてあったの
であるが、末法満年に真仏を観ずることが出来るから釈迦は弥勒(みろく)に教へておか

れたのであります。今は既(すで)に時、旬が到来したのでありますから真仏を探究する
ことが第一であります。

    ◎ 無 量 寿 経 の 中 に ◎
猶(なお)し大乗の如し、群萌(ぐんもう)を運載(うんさい)して生死(しょうじ)を
出(いだ)すが故(ゆえ)に。猶(なおし)重雲の如し。大法雷を震(ふるい)て未覚(み

かく)を覚(さと)すが故に。猶し大雨(だいう)のごとし。甘露の法を雨(ふら)して
衆生を潤(うるお)すが故に。金剛山のごとし。衆魔外道(しゆまげどう)も動すこと能

(あた)わざるが故に。梵天王(ぼんてんおう)のごとし。諸(もろ\/)の善法(ぜん
ぽう)に於(お)いて最上首なるが故に。尼拘類樹(にくるいじゅ)のごとし。普(あま

ね)く一切を覆(おゝう)が故に。優曇鉢華(うどんはちげ)のごとし。希有(けう)に
して遇(あい)がたき故に。金翅鳥(こんじちょう)の如し。外道(げどう)を威伏(い

ふく)するが故に。諸の遊禽(ゆうきん)のごとし。蔵積(ぞうしゃく)する所無きが故
に。猶し牛王(ごわう)のごとし。能勝(よくか)つものなきが故に。猶し象王(ぞうお

う)のごとし。能(よ)く調伏(ちょうふく)するが故に。獅子王(ししおう)の如し。
畏(おそ)れる所なき故に。貝広(ひろき)こと虚空の如し。大慈(だいじ)等しき故に。

註=(又譬(たと)えを以てその利他(りた)の徳を顕(あらわ)して見れば。一切衆生
を載(の)せて生死の苦海を脱出せしむること。殆(ちょ)ど大白牛車の様である。

乃至大慈悲平等なることは殆(ちょう)ど虚空の平等なる様である。次に説法堪任(たん
にん)の徳を嘆(たん)じて見れば、他の盛(さか)んなることを妬(ねた)み人の勝(す

ぐ)れたるを忌(い)まざるが故に。只一途(ただいちず)に法を論ずることを求めてあ
き足(た)りない。而して説法は長きを厭(いと)わず。或(あるい)は法鼓(ほうこ)

を撃(う)ちて大衆を集めるなぞして智慧(ちえ)の日光を以て愚痴(ぐち)の昏闇(こ
んあん)を破(やぶ)り。身口意(しんくい)の三業同戒同施同見(さんごうどうかいど

うしどうけん)の六和敬(ろくわきょう)を修して常に説法して而(しか)もその志を励
(はげ)まし更に心の撓(たわ)むと云う事はない。

虚空蔵菩薩は丑の年であって弥勒をさして云う。真実を解くのであります。虚空蔵菩薩は
女であります。弥勒菩薩は大白牛車に乗って真実を解く。その証は「多羅儀軌経(たらぎ

ききょう)に文殊、勢至、虚空蔵、弥勒等の菩薩は皆多羅母観世音(みなたらもかんぜお
ん)より出生(しゅっしょう)す。」と説き示しあります。

   ◎ 観 世 音 利 生 記 の 中 に ◎
仏教にては「都(すべ)て仏法の道理は三業相応(さんごうそうおう)せざる行(ぎょう)
は結縁の善根となって広大(こうだい)の現益(げんやく)を得ずと申すは大小顕密(だ

いしょうけんみつ)の掟(おきて)なり。是故に有信の行者は意(こゝろ)に念じ口に唱
(とな)へて希(ねがわ)くば必ず三業を相応すべし」と示しあります。

   ◎ イザヤ書 第四十二章 一七節に ◎
刻(きざ)みたる偶像(ぐうぞう)に頼(たの)み鋳(い)たる偶像に向いて汝等はわれ
らの神なりと云う者は、退(しりぞ)けられて大(おゝい)に恥(はじ)をうけん。と御
示し下されてあります。

   ◎ マタイ伝 第十六章 二八節に ◎
誠に汝等に告(つ)ぐ、こゝに立つ者のうち人の子のその国(今生の名)をもて来たるを
見るまでは死を味はぬ者どもあり。と御示し下されてあります。

   ◎ 天 理 教 お さ し づ に ◎
前略 「又々聞いておけ、みな\/一ツ\/の理も分かるであろう。今の処世界一ツの道
\/。今の処一寸の道である一度の咄し、生涯一ツの理珍しい一ツの台\/咄し、今(御

神言のでた年から)の今までは、あろうまい。ながらへて(世の初めから神が仕込んで)
連れて通りた一ツの処(神一条の処)年限ある\/ながらへての一ツの道である。この処
の理を一ツ思案せ」 後略

     お筆先 四号 四一
  あすにちはなんでもたのみかけるでな  かみいちぢよにつかねばならん

     お筆先 一号 五五
  いままではながいどうちゆみちすがら  よほどたいくつしたであろうな

  このたびはたしかなるまいりしよ  みえてきたぞへときしんをせよ

  このさきはながいどうちゆみちすがら  といてきかするとくとしあんせ

    ◎ ヨハネ 第一書 第五章 一九節 ◎
我らは神より出(い)で全世界は悪しき者に属(ぞく)するを我らは知る。20、また神の
子既(すで)に来たりて我らに真(まこと)の者を知る知識を賜(たま)いしを我らは知

る。而して我らは真(まこと)の者に居(お)り、その子イエス・キリストに居(お)る
なり、彼は真の神にして永遠(とこしへ)の生命(いのち)なり。21、若子(わくこ)よ、

自(みずか)ら守(まも)りて偶像(ぐうぞう)に遠(とう)さかれ。」と神は人の子に
入り込み給いし証(あかし)は確かなりと詳しくお示し下されてあります。

   ◎ 三 位 一 体 と は ◎

     月=== 日=== 風  御神言を吹き分け     ──┐  月 み
       ‖    ‖    ‖                           │  日
       水=== 火=== 魂  甘露を受ける台        ──┤==入 の
      ‖    ‖    ‖                            │   り
      鏡=== 剣=== 珠  この三ッの理を持って  ──┘  込  宮

    「三 位 一 体 の 理」
月日入り込みの宮として御神言を鏡の如く正しく映(うつ)るので、息をかりて風で吹き

分け、言玉をはき、末法に泥海世界を清く正しく導きて、剣で悪難を除け、むほんを払い

の守(まもり)致す事は、月日二神のこの世最初からの大計画の大聖旨であります。

     明治二十年一月二十四日   おさしづに
さあ\/月日がありてこの世界あり。世界ありてそれ\/あり、それ\/ありて身の内あ
り、身の内ありて律あり、律ありても心定めが第一やで、さあ\/実があれば実があるで、

実といへば知ろまい、真実と云うは、火、水、風、さあ\/実を買うのやで、価をもって
実を買うのやで。」と仰せ下されてあります。日月風はこの世になくてはならん三原素で
あります。

     明治二十二年八月二十一日  おさしづに
前略 内々(天理教の道は)どうもならんからころりと道を立てかえて世界これ丈の道を
始めかけ、神一条世界一ツの道、只一ツのの道を始めかけだん\/、いんねん因縁の理を

もって始めかけたると云う理をもって始めかけたる理と云う。充分理を聞き分けてくれね
ばならん。何年の理をはかる心に一ツの理がどうなりこうなり充分治まるこの事情、後略

     明治二十二年九月十七日  おさしづの中に
前略 皆よう聞いておけ、もうしばらくの処、神一条の道にしてしまう。日々取扱いなる
程これでこそ、神屋敷天の理、いつ\/迄も残ると云う、そこで、もう一寸前々よりも伝

え咄し、刻限の理が分りがたない。これからは皆心を継ぎ合い人間心で定めた理は、どう
も続かん、何かの事頼みおく。 後略

     明治二十二年十月二十三日  おさしづの中に
前略 人間心すっきり入らん、もうこれから神一条と云う道を立てにやならん、
立てささにやならん、立てさして見せる。 後略
                        妙真珠よりその10へ続              
 

№22 妙真珠よりその8

 投稿者:安達  投稿日:2007年 7月26日(木)14時44分6秒
          妙真珠よりその8
   ◎ 仏 教 聖 典 の 中 に ◎

  弥陀成仏のこのかたは
         今に十劫をへたまへり

  法身の光輪きわもなく
         世の盲冥を照らすなり

十劫とは年限の事でありまして月日灯明台として弥勒菩薩が釈迦の本願を悟り、入滅後 二千五百年の第五の五百年は昭和十年目初成仏となりた年であります。

  弥陀の大悲ふかければ
         仏知の不思議をあらわして
  変成男子の願を立て
         女人成仏ちかいたり
   ◎ 仏 教 聖 典 の 中 に ◎
  釈迦の教法ましませど
         修すべき有情のなき故に
  覚りうるもの末法に
         一人もあらじと説きたまう
   ◎ 仏 教 聖 典 の 中 に ◎
  如来大悲の恩徳は
         身を粉にしても報ずべし
  師主知識の恩徳も
        ほねをくだきても謝すべし

    無 量 寿 経 の 中 に
仏言(ぶつのたま)はく、成仏より巳来(このかた)、凡(およそ)十劫(じうこう)を
歴給(へたま)へり。釈迦の説法に曰さく『経文に神通力を添えねば鳥に翔(翼(つば
さ))なきも同じこと』と説き給う。

    ◎ 阿 弥 陀 仏 ◎
本然態の弥陀は静か動態に現わるこれ顕現(けんげん)し経典は理法を持ちて現わしたも
のお経丈にとる。放念便と云う。その真実を実機という。実相の世界と言う。実相の世界

と解いている。一如界が浄土と云う。この一如界を真如と云う、真如法性を法身と云う。
要するに月日入り込まれた南無天照皇大神宮のお姿となる。その元は真如法性となる、そ

れは無色無型となる。真如本覚を悟らねば釈迦の本真は分る事は出来ません。

   明治二十一年六月二十三日  さしづに
 甘露台一ツ人間定めてある。と示しあります。

   明治三十一年七月十四日 おさしづに
甘露台はいつのことやと思ている、勤め一条の台にもつとめているやろう、みな話しいて
いるやろう、なれど何やらかやら分らん」と示してあります。

    御筆先 九号 四三

だん\/となにのはなしをするにもな  さきなることをばかりゆておく
これからはなにのはなしをするならば  かんろうだいのはなしいちじよ

いまなるのかんろうだいというのはな  ちよとのひながたまでのことやで(石、木)
これからはだん\/しかとゆてきかす  かんろうだいのもようばかりを

このだいをすこしほりこみさしわたし  さんじやくにしてろっかくにせよ
いまゝでにいろ\/はなしといたるは  このだいすえるもようばかりで

これさいがしいかりすえておいたなら  なにもこわみもあぶなきもない
つきひよりさしづばかりでしたことを  これとめたならわがみとまるで

人間甘露台を建てるために石の甘露台を据えておかれたのであります。(昭和三十六年は
大かん道となる)
    御筆先 十号 七二
だん\/とみすますところせかいぢう  きのどくながらもんくかへたい
しやんせよくちでなにごとゆうたとて  たしかなしよこなくばいかんで

つきひよりたいないよりもいりこんで  じうよじざいのさしづしよこや
それゆへにいまゝでどこにないことを  ばかりゆうゝてはじめかけるで

いまゝでもないことばかりゆうにもな  これもつきひのみなおしえやで
このたびのかんろうだいとゆうのもな(人間)これもいまゝでしらんことやで
どのようなことをゆうのもみなつきひ  しらんことをばおしへたいから

人間甘露台建設するには、神の思惑は過ぎ去った事は云うてありません。先々の先の先迄

の事を申してあります。神様の教へには「このたび気の毒乍ら、処かへて話を」と仰せ下
されてあります。

    観 無 量 寿 経
五百の化仏一時に手を授けて讃(ほ)めて云わく。法子汝今清浄にして無常道心を発す。
我来たりて汝を迎う。と仰せられてあります。

    無 量 寿 経 の 中 に
如来の説法の通り
その儘(まゝ)何(いづ)れの法門を説法し。諸々の菩薩のためには師匠となりて之に説
法し、禅定より神通を現じ、智恵より光明を放ちて、有らゆる衆生を開導せらる。と解い
てあります。

基督の七ツの金の灯台も僧なら、天理教の人間甘露台も僧なら、仏教の月日灯明台も僧で
あります。どれを見ても同一のものであります。なぜなれば我身我家を捨て世界の幸福を

祈り世の衆生を助けんがために我身犠牲者となり、世のあがないとなりて働く故でありま
す。仏教だけが僧でなくて三教は一ツのもで同じことを説いてあります。それ故に共通で
あるがために御神言一切は仏教に唱へてある。

四奉請(しほうぜい)をこゝに証として申のべておきます。

    三 宝 礼(さんぽうらい)
 一 心 敬 礼 十 方 法 界 常 住 仏
(いっしんきょうらいじっぽうかいじょうぢうぶつ)
 一 心 敬 礼 十 方 法 界 常 住 法
(いっしんきょうらいじっぽうかいじょうぢうほう)
 一 心 敬 礼 十 方 法 界 常 住 僧
(いっしんきょうらいじっぽうかいじょうぢうそう)

   四 奉 請(しほうぜい)
 奉 請 十 方 如 来 入 道 場   散 華 楽
(ほうぜいじっぽうにょらいにゅうどうじょうさんか らく)
 奉 請 釈 迦 如 来 入  道 場  散 華 楽
(ほうぜいしゃか にょらいにゅうどうじょうさんか らく)
 奉 請 弥 陀 如 来 入  道 場  散 華 楽
(ほうぜいみ だ にょらいにゅうどうじょうさんか らく)
 奉 請 観 音 勢 至 大 菩 薩 入 道 場  散 華 楽
(ほうぜいかんおんせいし だいぼさつにゅうどうじょうさんか らく)
右(上)の散華楽の意味を深く御研究すること第一かなめかと存じます。

     聖書ルカ伝 第十八章 三二節
人の子は異邦人に付(わた)され嘲弄(ちょろう)せられ辱(はずか)しめられ、唾(つ
ばき)せられん。33、彼等これを鞭(むち)うち、かつ殺さん、かくて彼は三日目に甦(よ

みが)えるべし。34、弟子等此等の事を一ツだに悟らず、この言(ことば)かれに隠(か
くれ)たれば、その云い給いし事を知らざりき。

     申命記 第一六章 九節に
汝また七七日(四十九年の事こと)を計(かぞ)うべし、即ち穀物(こくもつ)に鎌(か
ま)を入れ初めの時よりしてその七七日を計(かぞ)え始むべきなり。

     民数記 略 第二八章 二六節に
「七七日の後すなわち汝らが新しき素祭(そさい)をエホバに携(たずさ)へきたる初穂
の日にも汝ら聖会を開くべし何の職業をも為すべからず」

   明治二十年一月十三日 おさしづに
前略 「四十九年以前から何も分からんむつかしいことがあるものか」
   お筆先 六号  一二五に
 つきひよりにち\/こゝろせきこめど こくげんまちているとおもへよ

と示しあります。  御神言の中に
中略 「さあ\/答うる処、それ答うる処の事情四十九年以前より誠という思案があろう。
実と云う処があろう。事情分かりがあるのか無いのか」中略「一ツ心にとって思案せ一時

の事情どう云う事情聞き分け、ながらく四十九年以前何も分からん中に通り来た、今日の
日世界世界なるよう。さあ\/事情(神一条)なくして一時定め出来がたない。さあ一時

今それ\/三名の処で屹度(きっと)定めおかねばならん。何か願う処にまかせおく、必
らず忘れぬ様にせよ。」
   お筆先 四号 四一
 あすにちはなんでもたのみかけるでな  神一条につかねばならん

百 にち\/にかみのおもわくだん\/と  といておくぞやこれきいてくれ
百五 だん\/と見えん事おばいいおいて  先で見えたらこれが神やで
百六 いかほどに見えたる事をいうたとて  先で見えねば分かりあるまい

  お筆先 十号 七四に
 つきひよりたいないよりもいりこんで  じゆよじざいのさしづしよこや
 それゆへにいまゝでどこにないことを  ばかりいうて始めかけるで

  お筆先 十三号  三九に
 このたびはもうひがつんであるからに  どんなことでもみないうほどに
 月日にはせかいぢうをみわたせど    元始まりをしりたるものなし

と神のお言葉に出てあります。私の道中は「七七日の和讃」に書き現してある如く道中に
一ツ一ツ関所を越えて仏教では弥勒菩薩として出現することを示してある事ですから、次

に証拠として述べておきます。私は、世界平和を祈るために救世するに付いて神にお誓い
した事を述べさして戴きます。
    ◎ 七七日の和讃 「中陰和讃」 ◎
私の道中は左(下)の通りです。長男一人お残し下されば後は何一物としていりませんか
ら世の衆生を助けさして下さる様にお祈り致したので今日では大神様より願い通りの御自
由用戴く事が出来る様に成りました。 註=七七日は四十九年の事を示してあります。

帰命頂礼(きみょうちょうらい)ありがたや   七七日の和讃として
三尊弥陀(日月風つないでふんばって道を)の教えなり  死して(心の立てかえ)冥途
(めいど)へ趣(おもむ)かば
十万億土(年限の永い事)のその中に  七ツの関所ある中に

初七日守るは不動尊  昏闇峠(くらやみとうげ)のひとりたび
中陰供養のこゝろざし  光明便りで越るなり

二七日守るは釈迦如来  火焙(ひあぶ)り峠の逆(さか)おとし
それ\/供(そなえ)し手向(てむけ)ある  水と便りに越るなり

三七日守るは文珠菩薩(もんじゅぼさつ)渦巻峠(うずまきとうげ)は涯(はて)なしと
中陰中絶ず供物供(そなえ)ある  日の立つ程越るなり

四七日守るは普賢菩薩(ふげんぼさつ) 生津川(しよづのかわ)があらわれて
死して召したる帷(かたびら)の  六字の名号で越るなり

五七日守るは地蔵尊  涙で流す三途の川
追善菩提(ついぜんぼだい)の功徳(くどく)にて  船に乗りつゝ越るなり

六七日守るは弥勒菩薩  六道の辻にふみ迷い
自力の心ふり捨てて  他力の一ツで越るなり

七七日守るは弥陀如来  仏に供養するとくで
造りし煩悩消滅(ぼんのうしょうめつ)し  家の棟離(むねはな)れて笠の餅

極楽淨土へ引導す  南無阿弥陀仏  三べん

七七日四十九年立っていよいよ道に一本立ち父母の膝元を離れて助け一条進むのでありま
す。
       ◎ 略 画 ◎
明治二十二年私の生れた年より昭和十二年の間(四十九年)を蔭にかくれて大神のお仕込
みを頂いて七年々々の関所を越えてお通し下されし道中、大神様にお誓い申した通りにお

受取り下されて、明治三十六年に父死別、明治三十八年に姉と母上に死別、明治四十年に
米谷家に嫁ぐ、明治四十四年に兄上死別、大正十二年次女死別、昭和七年長女死別、昭和

十一年次男死別、昭和十九年夫死別、昭和二十年戦災にあい財産全部焼失、土地を売払い
て神一条に邁進(まいしん)致し世界救済の道中でした、後は筆に書き現わす事の出来な

い道であります。私の道中は天理教のおさしづ、お筆先、泥海古記、基督教新旧聖書にも
仏教の三部経にもその他の文献のも一点一歩一厘違わぬ差金の通りです。

      ◎ 私の精神とその覚悟は ◎
  身 は く だ け 屍(かばね)は 野 辺 に さ ら す と も

            わ す れ ま い ぞ へ ご く ら く の み ち

註=(日月の大旨を受けて欲、高慢のなき様に世の苦しむ人を助け一条の道に進む決心定
めのこと) 八相作仏にも四十八願にも書き残し下されてある通りで御座居ます。

     ◎ 観 音 和 讃 ◎ 「原本参照」
 三 十 三 に 身 を 分 け て   十 九 の 説 法 あ り 難 く

 七 難 三 毒 み な め つ し   二 求 両 願 も 成 就 せ り

註=(大正元年御聖霊の切れ目の年より昭和十九年が(三十三年)この年に本席として印

を打った年であるから七難三毒皆滅し月日の大旨も成就して阿弥陀仏が出現するとの事)
                            妙真珠よりその9へ続く
 

№22 妙真珠よりその7

 投稿者:安達  投稿日:2007年 7月18日(水)14時19分33秒
           妙真珠よりその7
   ◎ 聖 書 に て は ◎
基督(キリスト)の人の子として仏教よりキリストにつないでこそ明らかに御神言一切の
鍵(かぎ)を持っての奥義を吹き分けて世の救い主となると示してあります。何事も元を
知らねば分かる芽はないのでありますからしっかりと聞き分けて貰いたいのでございます。
  それから   天理教のお筆先 一号 五
 この元をくわしく聞いたことならば   いかなものでもみなこいしなる

  御神楽歌 十一下り目 七ツより
七ツ なにかめづらしつちもちや   これがきしんとなるならば
八ツ やしきのつちをほりとりて   ところかへるばかりやで
九ツ このたびまではいちれつに   むねがわはらんざんねんな
十ド ことしはこえおかず じうぶんものをつくりとり やれたのもしやありがたや

  ◎ 天 理 教 に て は ◎ お指図中に
前略 「みなそれ\/の心を持って研究してどうであるこうであると精神上定めてもらい

たい」と書き残し下されてあります。聖書は天の法則を御示しあります。人間甘露台と示

して母の御神言通りに魂の因縁により、この世初めからの神の大計画の大旨を永年伏せ込

みの理によりて世の救主として月日入り込み給う台と云うてあります。即ち甘い露(御神

言)を天より受けて月日様より取次人として一ツの台となり衆生の心を立て替さす甘露台

を云うのであります。基督教七ツの金の灯台と示しあり、仏教では月日灯明台と示しあり

ます。即ち伏せ込みと年限の理と心澄ました理によりまして世の人を救うことが出来るの

であります。   おかぐら歌の中に
 やしきのつちを掘り取りて  ところかへるばかりやで
 こゝでつとめをしていれど  胸のわかりたものはない
 この木きろうかあの石と   思へど神のむねしだい
神の御支配の世であるからであります。

   明治三十二年二月二日  「お指図に」

前略 「まち\/ではどうもならん、この理しっかり聞き分け、難(むずか)しい事を云
うやなし、是迄の順序の道に真中聞いても、末聞いても真実から聞けば分かる。唯一時と

云うは分からん萬事一と云う(仏)二ツと云う(基)、しっかりとこの順序聞とり、何人
の咄(はなし)、何時聞いても変わらん同じ事世界一時に移る日があるで\/、あってか

ら云うやない」中略「一二三と云う順序しっかり伝えてくれ、これ丈けの咄やない、まだ
伝へんならん順序かず\/ある。これ丈け一時のしきりとして点を打っておこう。」

中略 人間始めた元の屋敷、これは日々悟している、又人間始めおやさと\/皆連れ帰る
\/始め又しまい、中が後になってはどうもならん、順序定めてしまう\/説き悟す順序、

元なる咄元なる処\/一代後々この一ツ元の屋敷の為建かわる\/なか\/もって、後々
の処困難をさした困難をさしたは云う迄分からん間はそんなもの、この中の道、困難をさ

した\/子供迄困難であった\/もう一人はくれて、後へ残して是が台、長らえへての道
筋、こども\/皆の為、こうしたのや第一と云う、後、屋敷の理から始めかける人間一条

(道理上)神一条の道理後先になってはどうもならん 中略 杖柱残してある、又指図あ
る。人間の言葉と思うてはならん、映し込んだる杖柱と思へば何も案じる事は入らん。こ

れ一ツ悟しておかねば、分り難ない。中略 年限相応の楽しみは(天理教の今迄の道)皆
つけてある。楽しみの中に苦しみはめん\/心の理、鏡屋敷(神一条)から打ち出す言葉

は天の言葉である程に理をおそれず、あんな事云うあんな事と思へば、あんな事になる、
めん\/身上もあんな事になる程に\/、この一ツ理を悟しおこう\/。

  ◎ 四海同胞四海兄弟と言う事について ◎

 日月風(火水魂)は人間が製造する事の出来ん、亦人間の力でどうする事も出来んもの
絶対のものであります。真実の神と申すのは火と水とは一の神、風より外に神はないと仰

せられてあります事を知らねばなりません。世界中にどこにへだてのない同じ水、同じ火、
同じ風、この三原素が一ツになったものが空気となって、われ\/を日夜かんたんなくお

育て下さる天然自然の神であります。水がなくば萬物一切うるおいを頂く事出来ず、一切
のものは風もなく焼け燼(尽(つ)く)す丈である事を忘れてはなりません。亦火がなく

ば萬物一切は育ちません。火と水とがあってこそ風がおきるのであります。この大切なる
要素がなくてはならんのであります。この神が我々をお育て下さる実の大神様である事を

深く知らねばなりません。

 親の恩は山よりも高く、海よりも深く」と申して居りますが、大神様の大慈悲の空気を
吸(す)はして頂いている私たちは、この御恩は中々お返し致すことは出来んのでありま

す。天地は父母、日と月との大神様の懐裡(ふところ)でありましてこの中に人間萬物一
切が生成化育さして頂いているのであります。同じ空気を吸うてどこの世界に行きまして

も変わりないのがこの空気であります。水は大神様のお乳であって、火は大神様の温(ぬ
く)みであります。風にて一切のものは「調和」させて頂いているのであります。これに

依りまして世界一列は四海同胞、四海兄弟と云うことに成ります。

◎出る息は月様よりの借物「陰」水の守護

◎引く息は日様よりの借物「陽」火の守護、昔より神社仏閣に、仁王様や狛犬や狐等が据

えてありますのは、この陰陽、出る息、引く息を教えてありまして一方は口を閉じて一方
は口を開いた姿で現して我々に事を示して教えてありますが、時、旬が来まして末法満年

に天の法則を明らかに真実の神の光を照らすと云うてあります。この出る息、引く息がな
くなれば世の人はとう\/お引き取りになりましたと申して居られますが、人間の姓名は

肉体に付けてあるのでしょうか、亦は息に付けてあるものかをよく\/考えねばなりませ
ん。人間は息がなくなれば死亡届をせねば肉体を焼く事は出来ませんのです。そうしたな

らば肉体に名付けたのでなく、息に名付けた事は論より証拠であります。これに依りまし
ても月日二神の御恵みによりましてこの世に生存さして頂いている事は確かな事でござい

ます。人間はこの息を貸して頂いている限りには日月大神様には何として御恩をお返し致
す事が出来る事でしょうか。世の中の人等は何と云うているでしょうか。もう少し生かし

て貰うたらと云うていても何も深い意味が分らずに云うているのでありますが、息を貸し
て頂いている事を知らんからであります。この御恩は生涯お返し致す事は出来ません。せ

めて、四海同胞四海兄弟の苦しみを助けさせて頂くと云う心を定めてウキは慰(なぐさ)
め楽しみをお互いに分かちて行く事が第一平和への元であります。御神言には「十本の指、

どの指かんでも痛かろう」との御慈悲の御心を知るならば、月日二神が御満足なし下さる
事によりて我々に御加護下されるので共に喜びの日を送ることが出来るのであります。

    お筆先 六号 一三一
 胎内へやどしこむのも月日なり  生まれだすのも月日せわどり

 この四海兄弟の深い意味を知らんからお互いに身びいき身勝手のの精神より原水爆を持
って世界は散提嵐界の世と成りて苦しまねばならんのである。この原水爆の使用を止めさ

すにはこの月日二神より天然自然の空気の元を聞き分けるならば、国と国、人と人との争
いもなくなることと信じます。即ち三原素を知らす事に依りまして、如何なる悪心の持ち

主でもこれには勝つことは出来んのであります。この三原素を深く知らす事が出来れば天
恩に感じて原水爆の使用を止めるであろうと深く思うのであります。この事をよく聞き分

け出来ねば我が作った武器で我身を滅ぼす事になるのですから、四海同胞四海兄弟の深い
意味を萬国一体の人等に知らす事が第一要(だいいちかなめ)であります。

  天理教お筆先 三号 四〇
だん\/となにごとにてもこのよふは  神の身体やしやんしてみよ
人間はみな\/神のかしものや  なんとおもうてつこているやら

助けでもおがみきとうでいくでない  うかゞいたてゝいくでなければ

この処よろずのことをときゝかす  神一条でむねのうちより

と大神様の大慈悲の大御心より如何なる悪人でも立て替る様、我々に日夜かんたんなく御
守護下されてあることをしかと取次をする事が第一であります。

    ◎ 天 災 地 変 に 付 い て ◎

 日本神代の昔より月日二神の大聖旨は末法満年の世に成りたならば泥海世界(人間心は
びかりて)となって来る事を御存じでありますから、もう一度世の立替せねばならんと仰

せ下されてあります。この証拠は仏、基、天を三大天啓と申して三教共通のこの御聖典に
書き残されてあります。又は日本書紀、日本古事記にも書き残し下されてあります。随(し

たが)って大神様の大計画の大聖旨をよく\/聞き分けて真仏(月日灯明台)又は人の子
(七ツの金の灯台)又は人間甘露台(天の御神言一切の甘きつゆを受ける台)三位一体が

天孫日子番能邇々藝命のお役目を受けて出現致すと仰せ下されてある事を探究せねば成り
ません。

一切の「文献」をもう一度調べる事が第一、国と国との戦争(たゝかい)を止めさす元で
あります。原水爆も人間が作っているのでありますが、大神様は人間の善悪を分けるため

心の掃除をさすための一ツの道具に御使用なし下されてのお戒(いまし)めであります。
天災地変は大神様の御残念である事をよく\/悟らねばならんのであります。

    天理教 お筆先 三号  六六
  にごり水はやくすまさんことにては  真の柱のいれようがない
   柱さいはやくいれたることならば  末代しかと治まりがつく

       お筆先 六号  九一
  この世界やまぐえなぞも雷も  地震大風月日りっぷく
  どのような大社高山ゆだんしな  なんどき月日とんでゝるやら

  一列はみな\/我が身気を付けよ  月日えんりよはさらにないぞや
  なにもかもせへいっぱいにことわりて  それからかゝる月日仕事を

  どのようなこともうらみに思うなよ  みなめへ\/の身うらみである
  この話だん\/くどきつめてある  これしいかりと聞き分けてくれ

  一列はみなめへ\/の胸しだい  月日見分けていると思へよ
  月日より真実心みさだめて  受け取り次第かやしするなり

  今迄は何をいうても思うても  みな人間の心ばかりで
  これからは善きことにても悪しきでも  そのまゝすぐにかやしするなり

      明治三十七年 刻限(天理教御神言に申しのべておきます)
 さあ\/変わる\/愈々(いよ\/)変わる、今度は立替へる。善悪の立替、神の世と
なりて(月日じかの御支配甘露台に入り込んでお言葉を)善の世となりて、てんりの世(月

日の御支配となる)とする。それ知らしてくれ、学者、金持、医者、坊主、それで立てか
へ\/と云うておく。その変わると云うこと、今迄高い処にいる者が低うなる、低い処に

いる者が高くなる。これを心一ツで、この事は神が出て見分けするのや。よう聞き分け、
一時から休んだふしん本普請、内はどやどや大風(事情)や。さあ\/内にも掃除すると

思へ。世界を見て思案せよ。掃除すんだら日本(神の思惑の分りた者)治まる内々騒(さ
わ)ぐ、外から先に騒ぐ。さあ\/月日いつ飛び出るやら、間に合う者も間に合わぬ者も

人数揃(そろ)うて勤めせねばならん日がある。秋をあいづにより分け、さび分けする。
天は上うす、地は下うす、月日が中にとび出し、火水風をを入れて熔(溶(と))かす(原

爆、水爆)正味より分けする。その時来たら、あちらの村、こちらの村も昨日まで賑(に
ぎ)はし\/と暮らしていたが、今朝は日様は高く昇りたが、一軒も戸が開かん、こちら

の村も立派な家が立ち並んでいたが、影も形も見えんようになる日がある。その時来たら
世界あちら、こちらに蚊のなくようになって助け場所の門の前に死人の山がつく、なれど

内々(神一条の教へを受けている者)は安心なものや。見えてから説いてかゝるは世界な
み、見えん先から説いておくぞ。今日の日は横目ふる間も油断すな、いつ月日がどんな日

があるやら、何時とも云わん、刻限だけ説いて聞かせよ、朝日の出るから日の入るまで気
を付けんならん日がある。やれ世界の理に巻きこまれる、あゝ日頃聞かせて下さったこと

今見せて下さるかいなと勤めにかゝれ、その時には足もとにいる、可愛い子供も助けるに
助けられん日が来るで、その時には助け人数でありながら、助け呼ぶ者は捨ておけ、ほっ

ておけ世界のあちらこっちに蚊のなく如き日がある。やれこわや聞くより早くもう見えた。
どんなことでも油断出来んで、さあこれまで悟しおこう。日本中さづけで響(ひびき)渡

らす。このようの因縁の理を聞き分け、人(人の子)を助け。これを因縁の理とする。そ
れにそむけば命も財産も天が受け取る。このことは何時の事やと思うたら、三六二五の暮

れ合いに、これを百十五年限りとす。この時は霊魂はこの世から返しても牛馬に生み返す
承知せよ。それ故に今日一日生涯の日とす、早く悟れよ、神がせき込んでいる。いそいで

働け、僅かな日で今日一日が何日に向うやら悟らにやならん。

 右(上)の御神言通り原爆水爆にて天災地変等をお知らせ下されてありますから、しっ

かり精神立替ねばなりません。               妙真珠よりその8へ続く
 

№22 妙真珠よりその6

 投稿者:安達  投稿日:2007年 7月13日(金)00時16分1秒
      妙真珠よりその6
    黙示録 第二二章 一〇節に
この書(ふみ)の予言の言(ことば)を封ずな、時近ければなり。 善悪を分別のこと
11、不義をなす者は、いよ\/不義をなし、不浄なる者は、いよ\/不浄なし、義なる者
は、いよ\/義を行い。清き者はいよ\/清くすべし。12、視よ、われ報(むく)いをも
て速(すみ)やかに到(いた)らん。各人(おの\/)の行為(おこない)に随(したが)
いて之(人の子)を与(あた)うべし。13、我(人の子)はアルパ(おしへはじめ)なり。
オメガ(おしへしまい)なり。最先(いやさき)なり最後(いやはて)なり。始めなり、
終なり。14、おのが衣(心)を洗う者は幸福(さいわい)なり、彼等は生命(いのち)の
樹(き)に行く権威(けんい)を与えられ、門を通りて都に入ることを得るなり。15、犬
および咒術(まじない)をなすもの、淫行(いんこう)のもの、人を殺すもの、偶像(ぐ
うぞう)を拝する者、また凡(すべ)て虚偽(きょぎ)を愛して之を行う者は外にあり。
16、われイエス(水の精神)は我が使いを遣(つか)わして諸教会のためにこれらのこと
を汝らに証(しるし)せり、我はダビデの萌蘖(ひこばえ)またその裔(すえ)なり。
(かがや)ける曙(あけぼの)の明星なり。17、御霊も新婦(はなよめ)も云う「来たり
たまえ」聞く者も云え「きたり給へ」と。渇(かわ)く者はきたれ、望む者は価(あたえ
)なくして生命(いのち)の水(水にてパプテスマ)を受けよ。(雛型通りに水にてパプ

テスマをほどこして人を助ける神一条教会のこと)神一条には人の子出現のお知らせ、仏

教では阿弥陀仏(弥勒菩薩)天理教では人間甘露台であります。

     ヨハネ伝 第一章 六節
神より遣(つか)わされたる人いでたり、その名をヨハネと云う。7、この人は証(あか
し)のために来れり。光に就(つ)きて証(あかし)をなし、また凡(すべ)ての人の彼
によりて信ぜん為なり。8、彼は光にあらず、光に就きて証せん為に来たれるなり。9、も
ろ\/の人を照らす(日月入り込み給う故にまさかの時には月日代理とも云う)真の光あ
りて世に来たれり。10、彼は世にあり、世は彼によりて成りたるに、世は彼を知らざりき。

   次に  ヨハネ伝一章 八節に
証するものは三ッ御霊(魂)と水(月)と血(日)となり、この三ッ合いて一ツとなる」
肉体を以てこの世に出現することを示してあります。即ち人の子を仰せられることです。

   使徒行伝 第七章 五六節に
視よ、われ天開けて人の子の、神の右に立ち給うを見る。」右と云う事は女であると云う
ことです。

観音経の中に「右肩月照光仏(うげんがっしょうこうぶつ)」と示されてあり、「仏子何
因縁(ぶっしがいんねん)、妙位観世音(みょいかんぜおん)」と示しあります。

明治三十一年三月二十八日天理教お指図の中に、「女であれど尽くした理はこれ神の守か
ら」と申してあります。

   ヨハネ黙示録 第一章 八節に
今いまし、昔いまし、後きたり給う主なる全能の神いゝ給う「我はアルパ(教え始めの)
なり、オメガ(教えじまい)なり」

   ◎ 天理教の御神言には ◎
「教へ始めの教へじまいの道を付ける」と仰せられてあるのは御筆先にあります。

      お筆先 十七号
五、 このたびはこの元なるを真実に   どおせ世界へ皆教へたい
六、 この元はいざなぎといざなみと   身の内なるほん(人間)まんなかや

以邪那岐命様は月様、水の守護であって 以邪那美命様は日様、火の守護神であります。
以邪那岐様、以邪那美様の本真中の一粒種である事をよく\/研究せねばなりません。

   お筆先 十七号
二、この道はどう云う事に思うかな   かんろだいのいちじようのこと
三、この台をどう云うことに思ている  これはにほんのいちのたからや
四、これをばななんとおもうて皆の者  この元なるを誰も知ろまい
とお示し下されてある。「誰も知ろまい」と仰せ下されてありますのは天理教のお筆先の
中に   この所大和の地場の神型と   云うていれども元知らん
     この元をくわしく聞いた事ならば   如何なものでもこいしなる
と世界の反対は云う迄もありません。道の中でも真の人間甘露台を踏み止める事知らんか
ら、神の御残念出たら、ハクションころり、欠伸(あくび)してころり、畑に鋤鍬(すき
くわ)持ちてその儘(まゝ)と云う時が来る。と仰せ下されてあります。

     明治二十二年七月三十一日 おさしづに
神一条の道をどうでも聞き分けにやならん、ながらえての道(おさしづの出た年より今日

までの事)の処、分かりにくいよう聞き分け。と示しおかれたのであります。私の生まれ

る三日前にお出し下されし御神言であります。人間甘露台として神一条を通すから聞き分

けてくれと仰せ下されてあります。

  聖書 申命記 第二五章 四節に
「穀物(御神言一切)を碾(こな)す牛に口籠(くちかご)をかく可(べ)からず」と仰
せ下されてありますのは、今度の神の思惑の台は、織姫として鬼門位の星座に出現するに
よりて妙法(不思議なる実相の理)とも云い、亦、南無阿弥陀仏の仏の現れる方位の位置
である。丑寅(『北東角』)の方位より神の大聖旨を天ヶ下(あめがした)に照らして明

らかに吹き分け致して天の法則によりて戒(いまし)めおかれた御神言であります。昔よ

り八月のお盆に京都市の北東の角(すみ)には妙法の二字の火を焚(た)くのにも一ツの

いわれがあります。字を水に映して頂くと悪病を患わんと云うてありますのは、神の思惑、

日月灯明台の出現する方位であります故に神は人間に云い伝えさしたのであります。

    ルカ伝 第一六章 三一節に
アブラハム(阿布羅波允「アダム再生」)云う「もしモーゼ(御神言を云う)と予言者(人
の子)とに聞かずば、たとい死人の中より甦る者ありともその勤(すゝめ)を納(い)れ
ざるべし」
     申命記 第一八章 一〇節
汝らの中間(うち)にその男子女子(むすこむすめ)をして(夫婦の理一ツのもの)火の
中を通らし(人の子の苦労の道中)むる者あるべからず、また卜筮(うらない)する者邪
法(じゃほう)を行う者禁厭(まじない)する者魔術(まじゅつ)を使う者11、法印(ほ
ういん)を結(むす)ぶ者憑鬼(くちよせ)する者巫覡(かんなぎ)の業(わざ)をなす
者死人に詢(とう)ことをする者あるべからず。12、凡(すべ)て是等(これら)の事を
なす者はエホバこれを憎(にく)みたまう汝の神エホバが彼らを汝の前より逐(おい)は
らいたまいしも是等(これら)の憎(にく)むべき事のありしに因(よ)りてなり。13、
汝の神エホバの前に汝完(なんじまつた)きものたれ。14、汝が逐(お)いはらう彼の国
々の民は邪法師(じゃほうし)卜筮師(うらないし)などに聴(き)くことをなせり、然
(さ)れど汝には汝の神エホバ然(しか)する事を許したまわず。15、汝の神エホバ汝の
中(うち)汝の兄弟の中より我のごとき一個(ひとり)の預言者を汝のために興(おこ)
し給はん汝ら之(人の子)に聴くことをすべし。

    エゼキエル書 第二二章 二三節に
エホバの言(ことば)われに臨(のぞ)みて云う、24、人の子よ是(これ)に云うべし汝
は怒(いか)りの日に日も照らず雨も降らざる地なり。
こうして人の子の世に出る時は雨降らず天災地変にて月日二神の御残念が現れるのであ
る。一日も早く人の子の出現し居る所にてエホバの神の誠たる御神言の御預言を聞くべし
とあります。疑いを去りてお越し下さいませ。

    エゼキエル書 第一三章 一節に
エホバの言(ことば)われに臨(のぞ)みて云う。2、人の子よ預言をこととするイスラ
エル(神祭る所)の預言者に向かいて預言せよ、彼(かの)おのれの心のまゝに預言する
者に云うべし、汝らエホバの言(ことば)を聴(き)け、3、主エホバかくいいたまう彼

(か)の(神の大旨を知らずに)何をも見ずして己の心のまゝに行う処の愚(おろ)かな
る預言者は禍(わざわい)なるかな。4、イスラエルよ汝の預言者は荒墟(あれあと)に

おる狐(きつね)の如くなり。かくの如く人の子は天よりの栄光を持って三教の御神言の

基(もと)いを督(ただ)して明らかにせよとの御命令であります。

    ヨハネ伝 第一書 五章 四節に
凡(おほよ)そ神より生(うま)るゝ者(人の子)は世に勝つ、世に勝つ勝利は我らの信
仰なり。5、世に勝つものは誰ぞ、イエスを神の子と信ずる者にあらずや。6、これ水と

血とに由(よ)りて来たり給いし者、即ちイエス・キリスト(人の子はすなおなる精神に
て基を督す)なり。只(たゞ)に水のみならず、水と血とをもて来たり給いしなり。7、
証(あかし)するものは御霊(みたま)(天の父の法則を持って御神言一切を風で吹き分
けする)なり。御霊(みたま)は真理なればなり。8、証する者は三ッ御霊(みたま)(魂
人の子)と水(月父)と血(日母温みの御守護によりて肉体を持って出現する)となり、

この三ッ合いて一ツとなる」と云うことは、肉体を持って出現すると仰せられてあります。

   「天理教御神言中に」 明治二十五年二月十七日
前略 今一時というは、やぜん(既成宗教)に事情は三ツ一ツの事情を揃へて諭すという
た処、たいて\/日々深き\/の理三ツ寄せての事情、一日もおくれてある。よく聞き分

け、万人一人助け一条(万人捨てゝも一人助けば万人は助けて頂くこと)の理を察してく

れ、何々(既成宗教のこと)の事情、かず\/の事情、見て見のがし聴いて聞きのがし、
云うて(神一条の道を云う)一ツ聞かして一ツの事情もある。第一一時決心定めてくれ、

三ツ一ツの指図しよう、早く事情聞き取ってくれ、実々の心(日月の大計画の思惑のこと)
分かろうまい。是(これ)で(神一条の道)三ツ一ツの事情諭すからには指図の理にもた

れてくれにやならん、聞き分けて咄(はな)し合いせにやなろうまい。

「註」仏教にては南無阿弥陀仏の中に封じ込んでおかれた弥勒菩薩は言玉(げんぎょく、
ことたま)で吹き分けする事を示しおかれたのであります。水とは基督(キリスト)教の

御預言は天にまします月様、世界の父である、この父の御預言であります。天の法則に
て人の子は御神言一切の中より一点一歩一厘(いってんいっぽいちりん)違はぬ差金

(指金、さしがね)を持って世に出る事を仰せられてあるのです。血とは慈悲(じひ)を
さして云うてあります。故に世の母は日様であります。この父母の大慈悲に依りて仏教の

釈迦牟尼如来(しゃかむににょらい)、阿弥陀如来(あみだにょらい)、弥勒菩薩(みろ
くぼさつ)とに月日が入り込みて灯明となし、水と血とに依りて肉体となりて出現致し月

日のお働きに由りて男身(精神のお働き)ともなり、女身ともなりて神の子でありながら
世の衆生を救わんために下界にて人の子と称し、言玉をはき、月日二神の大旨を世に知ら

すのであります。「日本古事記の中の天孫番能ニニギノ命のお役目を受けて出世すること」

    ◎観音経普門品(かんのんきょうふもんぼん)第二十五◎
偏袒右肩合掌向仏(へんだんうけんがっしょうこうぶつ)と示しあるのは「暦(こよみ)」
の皇帝「四季」の欄(らん)に「人の子、甘露台」は明治二十二年八月三日旧七月七日に
生れ、夏の処を見ると皇帝の右の肩に丑の年の印があります。

    ◎即  ち◎  仏教にては
世尊妙相具(せそんみょうそうぐ)、我今重問彼(がこんじゅうもんひ)、仏子何因縁(ぶ
しがいんねん)、名為観世音(みょいかんぜいおん)、具足妙相尊(ぐそくみょうそうそ
ん)と示してあります。

聖徳太子十七条憲法の中に詳しく御示し下されてあります。しっかりと心に治めてお読み
下さいませ。『二に曰(いわ)く篤(あつ)く三宝(さんぽう)を敬(うやま)え。三宝
とは仏、法、僧なり、則(すなは)ち四生(よつのうまれ)の終帰(ついのよりどころ)、
萬国(よろづのくにの)の極宗(きわみのむね)なり。何(いづ)れの人か是(こ)の法
を貴(たっと)ばざる、人尢(はなは)だ悪(あ)しきもの鮮(すくな)し、能(よ)く
教うるを以て之に従う。其れ三宝に帰(よ)りまつらずば、何(いづれ)を以(もて)か
枉(まが)れるを直(たゞ)さん』帰依仏(きいぶつ)、帰依法(きいほう)、帰依僧(き
いそう)とお示し下されてあります。

聖徳太子(厩戸王子・厩戸皇子)の仰せには仏法僧を示しおかれたのであって、釈迦入滅

後二千五百年第五の五百年即ち昭和十年に成ります。末法には月日灯明台として五十六億

七千万、弥勒菩薩は年を経て、世に出現して三年三月とゞまりて昭和十七年は午ノ年で馬

頭観世音と名付けて仏子何因縁であって、弥勒菩薩として修行を経て阿弥陀仏と号するの

であります。この一人を出すために憲法をお出し下されたことをよく\/知らねばなりま

せん。この仏法僧が月日の大聖旨の奥義の門を開くのであります。
                             妙真珠よりその7へ続く
 

№22 妙真珠よりその5

 投稿者:安達  投稿日:2007年 7月 7日(土)16時35分30秒
   妙真珠よりその5

  基督教(キリスト教)聖書の中

     黙 示 録 第三章 一四節に
アーメンたる者忠実なる真(まこと)なる証人神の造り給う者の本源たる者かく云う。耳

ある者御霊の諸教会に云い給う事を聴(き)くべし。」との御言葉であります。

    ヨハネ伝 第一二章 二三節に
人の子の栄光を受くるべき時来たれり」と示し亦(また)

    同    第一七章 一二節に
聖書の成就せん為なり。」と書き残し下されてあります。

    同    第一章 一七節に
律法(おきて)はモーゼ(御神言)に由(よ)りて與(あた)へられ、恩恵(めぐみ)と

真理(まこと)とはイエス・キリスト(すなおに父の教えの基いを督す)によりて来たれ

りなり。18未だ神を見し者なし、只父の懐裡(ふところ)にのみいます独子(仏教の阿

弥陀仏、基督教の人の子、天理教の人間甘露台の三位一体を云う)の神のみ之(これ)を

顕(あらわ)し給えり。19さてユダヤ人エルサレム(神を祭る所)より祭司とレビ(師)

とをヨハネ(世は根が元と云うこと)の元(許)に遣(つかは)して「汝は誰なるか」と

問はせし時ヨハネの証(あかし)は斯(か)くの如し。20、乃(すなわ)ち云い現して諱

(い)まず『我れはキリスとにあらず』と云い現せり。21また問う「さらば何、エリヤ

(恵理也)「仁愛の誠あり」」なるか。答う『然(しか)らず』問う『彼の預言者なるか』

答う『いな』22こゝに彼等云う『汝は誰なるか、我らを遣(つか)はしゝ人々に答え得

る様にせよ。汝おのれにつきて何と云うか』23答えて云う『我は預言者イザヤの云える

如く。』『主の道を直(なお)くせよと、荒野(あらの)に呼ばゝる者の声(霊)なり。

と示しあるのは末法の世に元の根があらわれて主の道の基(もと)いを督(ただ)すと云

う意味てある。雛型通りに人の子が世の人より、罵(のゝし)り笑われて十字架にかゝる

事を示しおかれたのである。25また問いて云う『汝若しキリストに非らず、またエリヤ

にも、かの預言者にも非らずば何故パプテスマを施すか』26ヨハネ答えて云い給う、我

は水にてパプテスマを施す、汝らの中に汝らの知らぬ者一人たてり。27即ち我が後に来

る者なり(人の子)我はその鞋(くつ)の紐(ひも)を解くにも足らず。 次に

    ルカ伝 第九章 二二節
『人の子は必ず多くの苦難(くるしみ)をうけ、長老・祭司長・学者らに棄(す)てられ、

かつ殺され、三日目に甦(よみが)へるべし』23また一同の者に云い給う『人もし我に

従い来たらんと思はば、己(おのれ)を捨(す)て、日々おのが十字架を負(お)いて我

に従(したが)へ。』24己(おの)が生命(いのち)を救(すく)はんと思う者は之(こ

れ(人の子の意))を失い、我がために生命(いのち)を失うその人は之(これ(人の子

の意))を救(すく)わん。25人全世界を羸(まう)くとも己(おのれ)を失い己を損(そ

ん)せば、何の益(えき)あらんや。26、我と我が言葉とを耻(は)づる者をば、人の子

もまた己と父と聖なる御使(みつかい)たちとの栄光をもて来たらん時に耻(は)づべし。27

われ實(まこと)をもて汝(なんじ)らに告(つ)ぐ、こゝに立つ者のうちに、神の国を

見るまでは、死を味はぬ者どもあり。◎(神の国とは甘露台親様の名前がくにです)◎

    ヨハネ伝 第一章 六節に
『神より遣(つか)わされたる人いでたり、その名はヨハネと云う』(人の子は世は元の

根であって世の元の人間である)即ち日本古事記の中の天孫日子番能邇々藝命(てんそん

ひこほのにゝぎのみこと)である事を知るべし。 弥勒出現

仏教では釈迦牟尼如来(しゃかむににょらい) 時 旬に来たりて弥勒菩薩(みろくぼさ

つ)となり、濁悪(だくあく)の世に出現(しゅつげん)する時には阿弥陀仏(あみだぶ

つ)と号して観音勢至(かんのんせいし)は精神の事で御神言一切(ごしんげんいっさい)

を世に照らし御神言の中の法を吹き分け、勢至にて三尊(さんぞん)は一仏(いちぶつ)

なり。この世を平和となすのであります。即ち基督教(キリストきょう)では人の子七ツ

の金の燈台(とうだい)、亦七ツ頭(かしら)共仰せ下されてあります。天理教では七柱

大食天命、世界の鋏(ハサミ)、切ること一切の守護神なり。日本古事記の中にては大食

津神(おゝげつのかみ)、伊勢では外宮、豊受大神宮(とようけだいじんぐう)百姓の神、

竈(かまど)の神にてこの神は皆一ツのものであって別名に非ず。今日迄は月日二神が、

木仏・金仏・石仏として月日入り込み何等の守護もして今日に至り、末法満年に神仏の姿

を持って、人の子が出現する事を示しおかれたのであります。種々様々のお姿の像はその

時\/の精神の働きを示しおかれたのであって末法の世に神の懐裡(ふところ)にのみい

ます独子の事を示しおかれたのである事を心に感じつかねばなりません。別名別神ではあ

りません。よく\/御研究なし下さいます様お頼み申します。

    マタイ伝 第十九章 三節に
パリサイ人等来たり、イエスを試みて云う「何の故に関(かゝ)はらず人その妻を出(い

だ)すは可(よ)きか」4、答えて云い給う「人を造り給いしもの元始(はじめ)より之

を男(アダム「以邪那岐命」)と女(エバ「以邪那美命」)とに造り、而して5「斯(か

ゝ)る故に人は父母(全知全能エホバの神)をはなれ、その妻に合いて二人のもの一体と

なるべし」と云い給いしを未だ読まぬか、さればはや二人にあらず一体(三位一体)なり、

この故に神の合わせ給いし者は人これを離(はな)すべからず」以の字の中の一点を知る

ことです。 「人、ギ」「ン、ミ」「ヽ」中の一粒種であります。

 日本古事記の中の天孫降臨の記事の所に「天津日高日子番能邇々藝命(あまつひだかひ

こほのににぎのみこと)この御子を降ろすべし」と申したまいき。この御子は高木神の女

、(たかぎのかみのむすめ)萬幡豊秋津師比売尊(よろづはたとよあきつしひめのみこと)

に御合いまして(一ツになる事)生みませる御子天の火遠理命(あめのひおりのみこと)

(精神の事)次は日子番能邇々藝命(ひこほのににぎのみこと)(御役目の名)にいます

なり」二柱は一ツの御役目を受けて萬幡豊秋津師比売命とお示しおかれたのである。即ち

天孫番能邇々藝命は女のお方である事を明らかにせねばなりません。この番能邇々藝命は

天宇受女命(あめのうずめのみこと)であって媛女の君(さるめのきみ)をして天照大御

神より大役を仰せ付けられたのであります。「天児屋根命(あめのこやねのみこと)・布

刀玉命(ふとたまのみこと)・天宇受売命(あめのうずめのみこと)・伊斯許理度売命(い

しこりとめのみこと)・玉祖命(たまおやのみこと)拝せて五判緒(いつともの)を支加

えて天降りまさしめ給いき」。この神は言玉息吹き分けの神即ち惶根命である。大食津神

(おゝげつのかみ)は、七柱大食天命(たいしょくてんのみこと)御神言一切を切り出す

ためのご命令をお受けして切り出しの神でありまして一ツとなりて世界の善悪を吹き分け

て悪気を払い謀反(むほん)の根を切る神である。この神の働きによりて世は平和となる

のであります。   マタイ伝 第一六章 一三節に

イエス・ピリポ・カイザレヤの地方に至り、弟子たちに問いて云い給う「人々は人の子を

誰というか」14、彼等云う「或人(あるひと)はパプテスマのヨハネ、或人はエリヤ、或

人はエレミヤ、また予言者の一人」15、彼らに云い給う「汝らは我を誰というか」16、シ

モン・ペテロ答えて云う「汝らはキリスト、活ける神の子なり」17、イエス答えて云い給

う「バルヨナ・シモン、汝は幸福(さいわい)なり、汝に之を示したるは血肉に非ず、天

にいます我が父なり」18、我はまた汝らに告ぐ、汝はペテロ(舌)なり、我この磐の上(不

動の精神)に我が教会を建てん(精神堅固)、黄泉(よみ)の門は(御神言の奥義を知ら

ぬ者を云う)これに勝たざるべし。19、我天国の鍵を汝に与えん。凡(およ)そ汝が地に

て縛(つな)ぐ所は天にてもつなぎ、地にて解く所は天にても解くなりと御示しあります。

  次に    ヨハネ伝 第5章 二二節に
父は誰をも審(さば)き給わず、審判(さばき)をさへみな子に委(ゆだ)ね給へり。と

あります。 次に  黙示録  第五章  二節に

「巻物を開きてその封印を解くに相応(ふさわ)しき者誰ぞ」と呼わる強き御使を見たり。

3、然るに天にても地にても地の下にも、巻物を開き、これを見るに相応(ふさわ)しき

者見えざりしに因(よ)りて我(エホバの神)いたく泣き至りしに。5,長老の一人我に

云う「泣くな視よ、ユダの族(やから)の獅子、ダビデ(種)の萌蘖(ひこばえ)すでに

勝を得て巻物とその七ツの封印とを開き得るなり。」次に人の子の出現の時に疑うなと仰

せあります。   マタイ伝 第一七章 五節に

彼なお語りおる時、視よ、光れる雲(疑い)彼らを覆(おゝ)う。また雲より声あり(う

たがいの中より父のこえあり)曰(いわ)く「これは我が愛(いつく)しむ子、我悦(よ

ろこ)ぶ者なり。汝ら之(イエス人の子すなおなる)に聴(き)け」22、彼らガリラヤに

集(つど)いをる時イエス云い給う「人の子は人の手に付(わた)され」23、人々は之を

殺すさん、斯(か)くて三日目い甦(よみがえ)るべし、弟子等甘(いた)くし悲めり。

     マタイ伝 第一八章 一節に
その時弟子等イエスに来たりて云う「然(しか)らば天国にて、大いなるは誰か」2、イ

エス幼児(おさなご)を呼び(人の子のことを悟る)彼らの中に置きて云い給う。3、「ま

ことに汝らに告ぐ、もし汝ら繙(ひるが)えりて幼児(おさなご)の如くならずば天国に

入るを得じ、4、されば誰にてもこの幼児の如く己を卑(いやし)うする者は、これ天国

にて大いなる者なり。5、又我が名のためにかくの如き一人の幼児(おさなご)を受くる

なり。6、されど我を信ずるこの小さき者の一人を躓(つまづ)かする者は寧(むしろ)

大(おゝい)なる碾臼(ひきうす)を頸(くび)に懸(か)けられ、海の深処(ふかみ)

に沈(しず)められんがた益(えき)なり。」 右(上)の御神言に幼児と示しあるもは

天理教の御神言の中にもあり。と詳しく云うてあります。

    明治三十二年二月二十四日のおさしづ   証拠に

前略 「尋ね一ツの事情夜に入って(行き詰まって教えの道分からん)どちらえ行ってよ

いやら道が分からん時に三歳童子にても、あちら、こちらと尋ねば暗(くらが)りと云え

共分かる」と御示しあります。

基督(キリスト)教の人の子を像法の世に仏像の姿を作りて天理の母の元に育ちまして月

日の甘い露を受ける台として末法の世に出現なして神一条の道の扉を開くのであります。
                            妙真珠よりその6へ続く
 

№22 妙真珠よりその4

 投稿者:安達  投稿日:2007年 7月 3日(火)16時34分48秒
    妙真珠よりその4

   敗 戦 後 の 思 い 出

 戦後二十年前の事を思い出しますと花屋さんに花も思うように買うことが出来なかった

のであります。

敗戦後には人間の心も大変あら\/しくなりまして、私が神様にお花をお供へさして頂こ

うと思って買いに行った処、女の人が私に神さんに花を上げる事いらへん、神さんがある

のなら、戦争は負けやへん、仏さんはほっとけや、神かまうなと云うて笑うていやはりま

した。私もつくづく人間の心は我が身勝手なことばかり、これでは、世の中如何になるこ

とかと思いました。こんなことでは早く神の存在を知らさんことにはと思いまして神社仏

閣の事を少しお話さして頂きます。

 今日まで神社にお祭りしてあります、お社の中には何があるかをさへ考えた事はなかっ

たと思います。そうでありますから敗戦に成りますと人間心はあら\/しくなるのは当た

りまへの事と存じます。お宮さんの中には印刷したお札があるか又は石か蛇の姿を祭って

一生懸命に我が身勝手な願いをしておがんで居たのでありましたのです。扉のその左右に

はお榊がお供えしてあります。御神境を正面に据えてありますが、一体今日までの人間の

心は我が身の事は、どんな事も考えて来ましたのですが、自分さへ良かったら人はどうな

ってもと云う心で冷淡な精神の持ち主でありましたが、今は、いよ\/時旬が当来して真

実の神の存在を学ばねばます\/天災地変が現れて死人の山を築く事になります。第一手

近のことから先ず知る事に依りまして暗夜を照らす事が出来るのではないかと思います。

一寸一言お話さして頂きます。お扉の正面に御鏡は何がためでしょう。我が姿は鬼の様な

心の持ち主であろうか、又は福人の様な精神の持ち主であろうかを鏡に映せよとの大神は

人間に形を見せて今日までお悟し下されてありまして、又左右にはお榊をお供へして生々

としている。お榊を見て自分の一日の日を喜んでいたのですが、そうして本当に満足する

ことが出来んから、オミクジの大吉大凶を見て大吉が出たら我が懐裡(ふところ)に大切

に入れ、凶が出たら木に括りてその日\/を過ごして来たのであります。本当の神を踏み

止めることが出来てなかったのは証拠であります。神様のお心と人間の心とはうんでいの

違いでありますから逆気(さかき)であるぞとのお悟しであります。その証拠にお宮の方

へ裏を向けて人間に表を見せてあることです。神様は人間の成人を待ちかねて居て下さっ

てあることを知らんからしっかり考えて御神境に我姿を映して心の通りうつるのを見て心

を改める様にして、お宮の中に治めて頂くような心にさへ致したならば、一人\/がこの

精神を造りさへしたならば、天災地変は身近に来ましても何の恐れる事はありません。

 如何な大風も水つきも、日照りでも、常々に真実の神を踏み止めるならば、神は願わず

とてもお守り下さるのであります。今の旬は人に頼むやない真実の神は火水風で人間の造

ることの出来ん神であります。しっかりと精神磨(みが)くことに依りまして、この世の

中を恐れることはありません。人間に安心さへ出来れば長命も出来るし、世は、いつも明

るく暮らすことが出来るのであります。真実の神を踏み止めることの出来ぬ二十年前食物

は云うまでもなく、道には木切れ一ツも落ちていなかった。お米も人間一人前配給もなか

った。パンも藁(わら)の這入ったもの煙草の好きな人は、松葉を捲いて煙をさへ吸えば、

それで満足していたのです。が、敗戦二十年後の今日には、食物の贅沢(ぜいたく)はお

金さへあれば何なりと求めることが出来ますが、今日如何で御座居ましょうか、神の御恩

を知らねば後に何が追うて来るのでしょう。神の残念でます\/不景気が現れて来て、物

価はます\/上がる一方、人間で人間を治めることの出来ぬ世の中になって目前に見えて

居るではありませんか。何とかして世界平和の御代になる様に真実の神を深く探さねばな

りません。昔からこけん先の突張りと申して居りますが、併し、便りない杖は折れて道に

倒れることになりますから、迷信はお先まっくらであります。何卒安心立命の世に築き上

げるには一手一ツに心を合わせて通らして頂きましょう。

  たゝかいにひとのこころはあれすさみ

          やさしきひとはみなしたづみに

  つねづねにほしいまゝしてきたひとは

          いざことあらばこゝろまずしさ

                            玉  水  仙 書
     天 然 自 然 の 移 り 変 り

扨(さて)、この世は月日二神の御支配に依りまして天然自然に移り変わり、仏・基・天

・三教共通の御神言一切を一ツに纏(まと)めるに依りまして天(あめ)の下を明るく照

らす事が出来るのであります。なれど、世の人等は世界平和を口癖(くちぐせ)の様に云

うて居られますが根本を知らんから、どうもならんのであります。

正法像法末法満年に弥勒を出現さして月日の大聖旨を説きに来ると云う事を仏教の七千余

部の経文に書き現し下されてあります。亦、基督教(キリスト教)の旧新約聖書に人の子

と示し、仏の姿を造って阿弥陀如来に南無阿弥陀仏の六字の名号封じ込み八相作仏を書き

現して聖書の中には人の子として末法の世に月日の大聖旨を明るくするため、天理の道よ

り人の子を理の上より生み出し下されて年限の理と屋敷の因縁により伏せ込み、心澄ます

した理を持って現わし、年限を追うて出て来ることを示し下されてあります。

       亦 三 位 一 体 と は

基督教の聖書には、金の燈台(とうだい)と示し天の法則を書き現してあります。

天理教の御神言一切には、人間甘露台を書き現してあります。

仏教の有難きお念仏の南無阿弥陀仏の中には基督教聖書に証(あか)せし人の子の姿を仏

像となし、父の法則通りに人の子として、母の元に仕込まれて人間甘露台として生まれ出

る事を三教共通の教えであります。心澄ましたる理、そして三教を一ツにまとめて神一条

と云う道を造り、月日二神この世最初から大計画の大聖旨を明らかにして濁(にご)りた

世の中を平和の世と致すのであります。なぜなれば、仏教では第五の五百年に成ったなら

ば、仏教の経道は滅尽(めつじん)すると仰せられてあります。 その証拠には、仏説無

量寿経に「我の滅後になってから往生の行(ぎょう)に就いて疑惑を起こさぬ様にするが

よいぞ 当来の世に経道滅尽せんに、我慈悲哀愍(われじひあいみん)を以て特にこの経

を留めて止住する事百歳(明治百年(昭和四十二年の事))ならんそれ衆生ありて斯経(こ

のきょう)に値(あた)う者は意(こころ)の所願に随(したが)い皆得度すべし」

註=(末法満年の末に仏の経道滅尽する時になっても慈愍(あわれみ)をたれて特別にこ

の経文を残して百年だけ(明治百年の事)止めておくようにする。それ故にこの経を聞い

て信ずる者は皆思うように出離解脱する事が出来る)と示してあります。しっかりと聞き

分けて頂きたいのでがざいます。

仏、弥勒(ミロク)に語りたまはく、如来の与世値(あ)い難く聞き難し、菩薩の勝法諸

波羅密(到二 彼岸一)を聞くこと難し、善知識に遇(あ)い法を聞きて能(よ)く行(ぎ

ょう)することこれ亦(また)難しとす。若し斯経(このきょう)を聞きて信楽受持する

ことは難の中の難にしてこの難に過ぎたる難は無し。この故に我法かくの如く作(な)し、

かくの如く説き、  是(かく)の如く教う。当(まさ)に信順して法の如く修業すべし。

と、きつく仰せ下されてあります。なぜ難しいので御座いましょうか。云うまでもありま

せん、人を見て理を見る力がないからでございます。註解=(それだから我五濁悪世に出

現して八相作仏し。一代経をなが\/と説いてのも この大経を説かんがための方便であ

った。今こそは阿弥陀如来が出世の本懐(ほんかい)たる大経を説きたれば一代の能事は

了(おわ)った。この法門を汝(弥勒菩薩)に附属する程に遠く末代に伝え当(まさ)に

信じて法の通りに修業せよ。)「弥勒出世は昭和十九年に五十六億七千万、弥勒菩薩はと

しをへん誠に信心ある人はこの度悟りを開くべし。」釈尊、弥勒菩薩に仰せらるゝ様凡そ

衆生ありて阿弥陀如来の名号を聞きて信心を発し。喜び勇みて一度でも称(とな)うるの

もあらば、必ずこの人は未来に大涅槃(だいねはん)(迷妄を脱却し功徳を円満)を得る。

而(しか)して求めざるに無上の功徳を得、知らざるに広大の利を具足するのであるぞよ。

是の故に弥勒設(たと)い大火(原水爆のこと)ありて三千世界に充満するとも、かなら

ず当(まさ)にこれを過ぎてこの経法を聞きて、歓喜信楽し受持し読誦(とくじゅう)し

て説の如く修業すべし。

釈尊仰せらる様は、我(わ)しが今迄、仏願の生起本末(いわれもとすえ)を説き。殊(こ

と)に現在無量寿仏及び国土の荘厳(そうごん)をも「白ごうをで」見せたから在世の衆

生は疑いなき筈(はず)である。各当(おの\/まさ)になすべき所の善法即本願を信じ

名号を行(ぎょう)するが宜しい。若しこの外に往生の行であろうと思う事があるなら今

尋ねるがよい。 と仏教経文の中に詳しく示しあります事を知って頂きたいのであります。

人間勝手解釈は行き詰まりの元をよく知らねばなりません。月日の大旨を解く者は広い世

界に只一人しかないのである事を知って頂きたいのであります。

 明治三十二年二月二十四日 亦天理教御神言御指図中に

前略 「只一人ひよこり始めて元は一寸したものその理からだん\/ある。よう聞け、成

程つなぎなくばいかん\/こらつくした理は将来の理にうつるという。皆元と云う。何か

なしに来る者はない。」との日様の御言葉であります。

 明治三十四年六月十四日の御神言に

前略 「皆それ\/の心持って研究してどうであるこうであると精神上定めてもらいたい」

亦 明治二十二年八月二十一日のおさしづ中に

中略「ころりと道をかへて世界、これだけの道を始めかけ、神一条世界一ツの道を始めか

けた。だん\/いんねんの理を以て始めかけたる理と云う。十分の理聞き分けてくれにや

ならん。」 後略 と示し残し下されてあります。     妙真珠よりその5へ続く
 

№22 妙真珠よりその3

 投稿者:安達  投稿日:2007年 6月30日(土)14時40分42秒
        妙真珠よりその3

   神 一 条 の 神 理

 始めもなく終わりもない、この宇宙の存在事実の中で、われわれ人間は、万物の霊長と

して生を受けこの小さな地球の上で、知性を与えられて生存し、大自然の姿からその一条

の神理を汲みとって最も合理的に生命を保ち、全ての生物の「思想」を受け、またそれを

「利用」する事によって、生きる途を求めるべく創(はじめ)られている。われわれは大

自然に反抗することは許されない。大自然に融合し、努力した時のみ、偉大なる仕事が、

そしてそれによってより良き社会が、創造されて来たのである。

 従ってわれわれ人間同志の間を如何に保って行くべきかを考える時、大自然の階調、無

理なき生存の実体を眺めて、大自然に「順応」し、大自然に「同化する」ことが、第一の

要件となるのであって、不自然と言う事は何人にも許されぬ。

 然るに現代は大自然に『同化』せずして、神一条の神裡を知らないがまゝに、人間に与

えられた特権―――自己優越善悪両道―――を乱用して、自ら苦しい生を求め、苦しい生

存を続けている状態である。

 今日迄人類は種々の経緯によって、僅かの間に、いむべき大闘争を二回も繰返しその都

度苦しい憂き目を体験した。しかも今日更に過去以上の憂き目を、見るか見ないかの境目

に到達していることを自覚せずにはいられない。

 一方人類は「生の本能」として、その究極に於いては、やはり快(よろこ)びと楽しみ

を得ようと努力しているのであって、その証拠に人類はすべて平和を熱願し、正しい個人

の尊重を要求している。換言すれば、自由であり平等であらねばならないと念願している

のである。正しき義務の内に正しき権利を求めているに外ならない。即ち無理なき生存の

実体―――神一条の神理に順応せんとする慾求である。

 茲にわれわれは厳然たる大法則の許に整然たる秩序を保って、一大運行をなす大自然を

眺めて、神理の一端に触れて見たいと思う。

一,太陽はわれわれの太陽系に於ける中心であり、太陽系という一大家族に於ける家長で

ある。地球の約二十五日(六百時間に成る)四分の一(百五十時間)の時間を以て自転し

つゝ、絶対の偉厳と整然たる秩序を保持しつゝ大中心に君臨し、全家族(星辰(多くの星))

『天上の衆星と日月交会』に対して柔らぐ慈愛の光を恵んでいる。

二,地球は一日(約二十四時間)に一回自転をなしつゝ一年(約三百六十五日(八千七百

  六十時間》を以て、太陽の周囲を一周(公転)する。

三,火星は一昼夜が二十四時間三十七分であり一年六百十七万四百〇一分九秒を以て太陽

  の周囲を一周する。

四,金星は自転周期が六十八時間?であって、公転周期は二百二十五日(一万五千三百時

  間)である。

五,水星は月と同じように自転周期と公転周期が同じであって、一日一年共に約八十八日

 (二十五万九千七十二時間)である。而してこの水星は太陽の周囲を一番早足で公転す

  る恒星(註=ネツノホシ)である。

六,木星の一日は僅か九時間と五十分であるが、一年は長く地球の十一年三百十五日をも

  って太陽の周囲を公転する。

七,土星の自転周期は十時間十四分であり、公転周期は地球の約二十九年百六十七日余り

  を要する。

八,天王星は自転周期が十時間四十九分であり、公転周期は八十四年七日である。

九,海王星の一日は僅かに七時間五十分であるが、公転周期は恒星中は一番長く、実に地

球の約百六十五年に相当する。

十、月は地球を中心として公転する一衛星であるが、月の公転周期は水星の如く同じであ

  って二十七日と七時間である。(月は太陽の光と一ツになりてある故に、古来女性の

  表徴とされ、太陰というのであるが、婦人の月経周期と月の公転周期とが一致するの

  を見ても人類が大自然の神理に対して、絶対に悖ることの不可なるを知るであろう。)

十一,その他月の如き衛星は火星に二個、木星に九個、土星に十個、天王星に四個、海王

   星に一個と各々恒星に附随し、その他小遊星、微粒星等々。

整然たる秩序と、絶対の神理に遵(したが)いつゝ一糸乱れざる大法則の許に、神一条の

神理に即して、一大運行は続けられている。

 即ち、太陽を中心とするわれわれの太陽系の一大家族は一団となって、秒速十九キロメ

ートル半の大速力を以て「琴座(キンザ)」(註=中心に引きつけられること)の方向に

突進しつゝある(この一大周期はまだ計算が出来ていない)というではないか。

 而して若しもこの一大家族の星辰に於いて、一つでもこの整然たる秩序をみだるものあ

らんか、一つでもこの絶対の神理に悖(もと)るものあらんか、即ちこの大天体の一角よ

り星辰の一大衝突を起こして、太陽系全体が破滅に陥るというのである。仮に地球と火星

とが衝突するとせば、そこに発する偉大なる熱度は一方の物質を気化してしまう。引いて

星辰の統制破れ、全太陽系が破滅に至るというのである。

 今、われわれは最も精巧なる天体望遠鏡によって、偉大なる太陽系の一大運行に驚異し、

緊張し、感嘆せざるを得なかった。偉大なる神一条の神理に触れたのである。

 次いでわれわれは、最も精巧なる極大限外大顕微鏡(仮称)を以て、最も小さきものゝ

世界を探究せんとする。物質が無数の分子より成り立っていることは、人皆知る処である

が、われらは今、一分子の世界を探るべくレンズを向けた。一分子の中には無数の原子が

集まっている。一分子は直径一センチメートルの十万分の一にも達しない原子の集まりに

依って構成されている。

 われわれは更に進んで一原子の世界を探究せんとする、極大限外大顕微鏡(仮称)のレ

ンズは清拭された、ピントを合わして今、ハッキリ一原子の正体を眺めたとき、われわれ

は、思わず「アッ」と云わざるを得なかった。一原子の中心には、原子核が君臨して居る

ではないか(原子核はプロトンと核電より成る)

 しかもその原子核を中心として、約二千の電子が、一定の軌道(一センチメートルの一

億分の一の半径をえがく)を驚くべき速さ(秒速約五千万億回)を以て廻転している。

この電子と電子の空間は非常な距離があり、その空間には電子の約二千分の一に当たる微

粒が、無数に活躍している。絶対の階調である。原子核を中心としての電子及び微粒の大

活躍はさながら大自然の星辰の一大運行に髣髴(さもに)たるものである。

 われわれは、曩(さき)に最も大いなる大宇宙を眺めて感歎し、今また小さきものゝ世

界を眺めて驚異の眼を見張ったのである。最も大いなるものゝ世界も、共に同じ一条の神

理に一貫された大自然界の神変不可思議なる現象に驚異し、緊張し、感歎せざるを得なか

ったのである。

 而してわれわれは、われわれの人間界に於いても、一貫した惟神(かんながら)なる一

大法則があって、この永劫不滅の大自然の一条の神理に悖(もと)っては一瞬の生存さへ

許されぬ事実を憶(おも)うと共に人間の良識を以て、大自然そのまゝの厳然たる秩序

と一貫した神理を布術して、平和と幸福のための人間界の一大運行を提唱し、全世界人類

に貢献せんと期するものである。

 即ち大自然の神が、人間にのみ与えられた偉大なる知性を神意のまゝの知性として、全

人類の幸福のためにのみ「利用」しなければならないと絶叫するのが神一条教会の教えで

ある。 今次大戦に於ける広島、長崎の惨状―同じ地球に、同じ人間として生存している

同胞が一瞬にして死んで行ったと言う事は如何に時の成り行きとはいへ大自然の神より、

良識を与えられ、愛の真意を訓えられてきた人間にとっては想像するさへ、恐ろしいこと

であり、悲しむことであった。

 同時にその反面この事実が、人間の知性から生まれたものであることを思うとき、われ

われ人間は如何に偉大なる智慧を大自然の神から与えられているかを知るのである。

 われわれは人間のこの偉大なる智慧によって、再び悲惨事を招いてはならない。この智

慧を最も正しい、神意の儘(まま)の智慧として、「利用」する方法を考え、誤ちなく幸

福を得るために使用しなければならない。

 何時の時代に於いても、常に平和のためにのみ、使用されねばならないと主張するのが

神一条の教えである。

 この偉大なる智慧の「利用」に依って出来た原子力を人類の平和文化のために使用する

ことによって人間に与えられた、知性的物質文化は更に向上し進展するであろう。

 而してかような運動が各国で起こりつゝある現状は誠に喜ばしいことであるが、その反

面に、今尚原子力を利用して、殺人兵器の研究を進めている事実も見逃すことが出来ない。

今や広島投下爆弾の一千倍の偉力を有するという水素爆弾、さらに二百グラムで人類を絶

滅し得るという細菌爆弾などの研究も進められている現状である。

 この現実を救い得るのは実にわれわれ人間の知性と良心だけなのである。かゝる現実を

創り出した現代人の知性と良識は「無理から自己を苦しめる」という不自然な事実となっ

て現れたものであって、この事実はまさに人類が自ら再組織した、偉大な物質力を前にし

て、より高き精神を獲得すべく運命づけられていると見られる可きであり、こゝに神一条

教の登場したのである。

 今こそ人間は最も正しい知性と良識とを働かして、大自然の無理なき実相を把握し、

神一条の真相を知って、正しく生存していくべき時代に入ったことを知らねばならない。

 わが神一条教は、大自然の法則そのまゝの惟神なる全人類の共存共栄を絶叫しつゝ、起

ち上がったのである。

  ◎明治二十一年六月十五日 (おさしづの中に)

前略 「何か一つのおさめかた、いかなる事はやく\/いそぐ、一つのおさめ定めの理、

一つの道というは、たいてしやん\/の道、先一つの道、十分ぜん\/一つの道の処思え

ども、その日通り来たる第一せく処、世上の道はある。神一条の一つの道通らねばならん、

十分の道がある。何かしまりかた、神一条の道という。一つの道どういう処、しんが分か

りがたない。刻限咄し、前々よりでけがたない。一人\/へ聞かす。十分の道、日々の処

一つの処なんでもこの理を聞き分け、道を運ばねばならん、身の処一つの印しある。第一

のはなし。」とお示し下されてあります。          妙真珠よりその4へ続く
 

№22 妙真珠よりその2

 投稿者:安達  投稿日:2007年 6月28日(木)17時08分47秒
    妙真珠よりその2
     ◎ 神 一 条 主 旨 ◎

世界萬国 法政至らざるはなけれ共、未だ宇宙神明の大法を覚得せざる為、万象皆、自以

個独の邪心に捉はれ、世は濁悪なり。これ国の乱るゝ基にして人智の間に「不思議」と「妙」

を知らぬ故なり。「不思議」と「妙」とは即ち神の法則にして、善因は善果に、悪因は悪

果に転輪するものなり。この議は古来常習の如く、教育上の戒語として、今尚世に流れる

つゝありと雖も、その実相甚だ皮相にして真核芯に触れず、弱者の処世術に過ぎざるもの

ゝ如し、悪因悪果の言葉を尽くし他人に教えると雖も、自ら善因を行う者稀にして、二善

を行うも三悪をなし、差引悪因を植え斯くして悪の種は厳正なる天の法則に依り、悉く自

己の許に帰有する処となりて、苦界の因を作す。これ全く無智にして、天の支配を知らざ

る無神論者なり。それ地上に豆を蒔きて豆の発生することは皆よく知ると雖も、自然の有

常にして不思議となさず、思想より巡らせし罪悪が、無形に裡に化育せらるゝものなり。

人間これを唱えて、天より降り来る災難と云う。一を知って二を知らざる愚者なり。人類

発展の上よりこれを視る時は、創世末期の“半智“ “半学問”と云う。而して、“満学

問”とは、即ち“天書”なり、日月風土の言信なり。今や世界は人智進み、文化極みに達

し殊更に神仏「末法の世」と宣う所以何故か、吾れ天語を読みて悟るに、不安不明なる世

の行塞りに非ず。天法開諭の現前にして萌芽の前の落葉に等しき好時なり。現世は諭すに

あらず悟るにあり、人間は何に依りて生命を保ち居るや、即ち息一条(いきひとすじ)に

依りて生命を保ち、息一条に依りて生命を失うことを物覚ゆる児童も知るなり。併しこの

息一条をいづこより来たり、いづこへ帰るを覚(さと)るでなくば只この世に息して食を

求め働くことの他知らずば四海同胞と言う事も分からず、四海兄弟と言う事も分からん故

に国と国との戦いをなし、一家の内でも夫婦兄弟の争いをなして天恩を知らず遂には自暴

自棄の舟を求めて胡城の客となるも亦詮方なし、而して迷宮に入りたる信者は人によりて

信仰に濃淡厚薄の差はあれども、信仰思想は一時的にあらざれ共自己本意が故に自世の行

き塞(つま)りとなりたり。宗教異変の直前に一考一案あり、今の世は再び妄想霊感を夢

て教友を導き党派の再興を計るものあり。無神論となりて思観乱るゝものあり。学説信仰

の両極端を採りて巧みなる論説家となりて社会を遊行するも是非なし。実際実情の裏面よ

り視るに、一掃は却って一塵を止むるの感あり。こゝに於いて「神一条教主」三教解説の

立場より御神言を中心として所感を述べ、宗教家並びに宗教当局の監察の資に供す。日本

神国の定めとして、奉皇祖始め、萬神九拝の礼儀は申す迄も無き事なり。時至りて神通力

を現し、世界大救済を垂れ給う。日月二神は火水風土の四大を自由自在に司り給う三大天

啓の主宰神にして神話の符合すること、恰も雨の一味なるが如し。萬物の化育生死共に、

日月の衛護ならざるはなし、実に世界萬象の神にして、この日月二神によりて神念の統一

に改たむるの外なし。しかして“神官”“布教者”たるものは大乗大語を鮮かに繙(ひも

と)きて神命の報ずる処をそのまゝに萬象の前に差し出し、天慮の果程を悟らしめ、人道

に従いたる時始めて天の大慈悲を垂れ給うものにして、病苦は勿論天災に至るまで、大風

直ちに止み、旱水直ちに雨を下げ給うもこの時なり。人間の方法手段、常識を 以て天道

を知る事は絶対なきものにして、天慮は天より方法を以て示現せらるゝにものなり、例え

ば親の胸中を知る幼児なきの道理にして、天道と差別も亦こゝにあり。従来の信仰は未開

なるため、神官直ちに神の代表者になり、美服をまとい、髭を撫で、病者弱者を引き寄せ

て自力自尊の方便を以て善となし、偶像崇拝に劣るとも勝ることなし。丸学問とは如何に

・・・・衆生皆神通力の法則をよく学びて「転輪の妙」を悟り善因に勤め、悪因を去り、

善果の収穫を甘受して、世に天災なく、悪病なく、豊作打続き、国民安住を保ち迷える者

なく、嘆き悲しむ者なく、この時、天帝の喜び拡大にして、これ全く子孫長じ親を案ずる

の議こゝにあり、今や人智進み文化至り、何故を以て、末法の世と定め給いしかは即ち人

世苦果の末期にして不安不明な世の行きつまりに非ず、人智の発達修行全く終わり、当(ま

さ)に転輪の法則を覚得する不思議の妙境に到達なしたる事実明らかに証拠あり、証拠と

は、釈尊の経典七千余部、基督の新旧約全書、天理教祖の御筆先、御指図(七十年間に渉

るもの)は正しく天地共通の三大天啓にして、恰も関所の符札を合するが如し、これ全く

人智修業の末期に当たり、日月御両神様より人間に与えられたる、大宝蔵仏にして極楽世

界大発見の大事業也。この三大天啓は大通智神力と称え給う。今日まで各宗教宗派の特有

物となり大切に宝物致されあると雖も、或は意味を含みて説く者あり。中にはその真相全

く不可解なりとして用途あるなきの宝物扱いとなり。解を加ふる人あれ共学識を以て自己

の信ずる所を説き、天神示喩の妙境に達すること浅くして尚遠し。「宗教は改革せねばな

らぬ」宗教の悪習は萬象教育思想の上より一掃せらる可ものにして当然可也と思考す。宗

教家はいかなる手段、障害を受ける共、速やかに甘受して無我の境地に坐し、我の存亡は

神仏の命ずる所とするも、蓋し一掃を受けたる後何をもって世に処するか。石木の像を拝

して満足を得るか。神通力の開輪を天に仰ぎて絶対なる神の発動なく、有名無実のものと

すれば従来より萬象に与えたる信仰は偽善なり否、未開なり。自尊的教則の授記あるとも

或は方便にして或は諭百説にて論語修養に等しく進展する社会萬象を教導するに足らずと

す。これ“神智”“人智”両足の遠隔より来る自然の洵汰(水流をうるほす)にして、神

秘に寄寓する開法のメモガなり。一日も早く神意を悟りて全世界に日月の光明を照し極楽

浄土にて天国を造り宗教家にては、大小を問わず派分けせず一手一ツの精神を固め世界平

和を根本的建設に邁進致したく存じ庶民と共に一手一ツの精神を持って派分けすることな

く日月の定め給いし法則に従いて萬国一体となり日本神国を発耀につとめせられんことを

節にせつにお頼み致す次第なり。太力王命の働きにて天の岩戸の扉を開くのでなくば、日

本神国の意味は分明せず我が俺がを捨て神に化す可しとめい\/が、神の大旨を守って新

しき世界平和建設の基礎を固め、人々が安心立命に念願する原動力はこの神一条教の信念

であり、且又、日本神国の誇張とするところであります。萬国一体全宗教家は一眼となっ

て月日二神の大聖旨を皆に分ちて、正しき教えに一人一名が清き心を保たん事を祈りて因

果の秩序を悟らしむるを教義とし、この教旨を以て宣布致すのである。
                              妙真珠よりその3へ
 

№22 妙真珠よりお伝えします

 投稿者:安達  投稿日:2007年 6月28日(木)16時41分31秒
  №22 妙真珠よりお伝えします。この本は昭和四十二年二月十一日の建国記念日に発行

されました。この年は明治百年です。昭和十七年、泥海古記終りの年に天照神一条打明場

所の看板が掲げられ、神一条の道が始りました。昭和十七年より二十六年に成ります。

この年は仏教が経文上終焉しています。 十一月に二代真柱が出直された年でした。

 ☆三千世界の親をどうでも踏み止めて頂きたくここにお伝えします。☆

  妙真珠よりその1
「玉水仙さんと神一条教」梅原 猛 これはここに出す許可を得てませんので省きます。

   は し が き

そも\/此の書を作る事になりました始めは、世界は騒々しくなりますし、天災地変は起

り、又死人は山積となって来ました。議会も血の雨、共倒れで国会では治まらなくなって

来ました。見るに見かねて大神様の大旨を書き現わした書物であります。その名を妙真珠

と名付けました。心をこめてお読み下されば大神様も御満足下さいますて天災地変死人の

山積みもなくなる事と思います。

    (三ッ子のかたことまじり)

昔から親達が子供成人さすには色々の心づくしで子供を育てゝきた中に、昔話おとぎばな

しをしてきましたが、ただ\/子供の寝る時の子守唄の様にしてきたのであります。たと

えば「ちょち\/あばゞ、かいぐり\/おつむてん\/」と云うて、お手を振って子供に

教えて親達が楽しんできました。又「こゝまでごんせ甘酒進上」と云うて子供の立って歩

くのを楽しんできましたが、その深い意味は分かりませんでした。いよ\/切迫つまって

来まして、どうでも、こうでも、大神様の大聖旨を明らかにして行かねばならん日々に及

んで来ました。どうぞ何事も悟りばかりでありますから、是非一度神一条の道にお越し下

さいまして探究下さいます様お願い申し上げます。そうすれば大神様の大慈悲の御心も分

って下さる事と存じます。朝のテレビの宗教の時間に出て居られました。立命館大学助教

授・梅原猛先生、龍谷大学教授・森竜吉先生にもご推薦戴き世界の人達に読んで戴きたく

発行致しました。

    昭和四十二年一月
                 神 一 条
                   教 主  玉  水  仙

      目    次
はしがき                                                      ・・・・・・・四
神一条主旨・・・・・世界万国人類発展の上より                   ・・・ ・・一六
神一条の真理・・・・大自然の姿 生の本能・・・大自然界の惟神の不可思議なる一条
おさしづ・・・明治二十一年五月十五日・・・神一条の一ツの道通らねばならん
敗戦後の思い出に 人間心
天然自然の移り変わり・・・・・
三位一体とは・・・・仏の経道は滅尽する・・・
おさしづ・・・明治三十二年二月二十四日・・只一人ひょこり始めて元は一寸したもの
おさしづ・・・明治三十四年六月十四日・・・精神上定める事
おさしづ・・・明治二十二年八月二十一日・・・ころりと道を立てかえて
黙示録・・・・第三章  十四節・・・忠実なる真なる証人
ヨハネ伝・・・第十二章 二三節
ヨハネ伝・・・第十七章 十二節
ヨハネ伝・・・第一章 十七節・・・人の子只父のふところのみいます一人子
ル カ 伝・・・第九章 二二節・・・苦しみの道
ヨハネ伝・・・第一章 六節・・・・神より遣わされた人
弥勒出現・・・濁悪の世に出現の事
日本古事記・・・大食津の神
マタイ伝・・・・第十九章 三節・・・人を造り給いし者
日本古事記・・・天孫降臨
マタイ伝・・・・第十六章 十三節
ヨハネ伝・・・・第五章 二十二節・・・審判の事
黙示録・・・・・第五章 二節・・・封印を解くにふさわしき者誰ぞ
マタイ伝・・・・第十七章 五節・・・我がいつくしむ子
    ・・・・十八章 一節・・・小さき者の一人を躓かせる者は
おさしづ・・・・明治三十二年二月二十四日・・・尋ね一ツの事情
黙示録・・・・・第二十二章 一〇節・・・・言を封ずるな善意を分別のこと
ヨハネ伝・・・・第一章 六節・・・神より遣わされた人いでたり
使徒行伝・・・・第七章 五六節・・・天開けて人の子
おさしづ・・・・明治二十一年三月二十八日・・・女であれど
黙示録・・・・・第一章 八節・・・今いまし 昔いまし、後来たりし給う
御神言・・・・・教え始めの教え終り
御神言・・・・・十七号
おさしづ・・・・明治二十七年七月三十一日 ながらへての道
申命記・・・・・第二十五章 四節
ルカ伝・・・・・十六章 三〇節 人の子のよみがへる
申命記・・・・・十八章 一〇節 迷信するな
エゼキエル書・・第二十二章 二十二節 神の残念
エゼキエル書・・第十三章 一節 予言者に向かいて予言せよ
ヨハネ第一の書・第五章 四節 世に勝つ者は誰ぞ
おさしづ・・・・明治二十五年二月十七日 万人一人助け一條の理
観音経普門品・・第二十五 偏袒右肩合掌向仏
聖徳太子・・・・仏 法 僧
御筆先・・・・・一号 五
御神楽歌の中・・十一下り目 七より
おさしづ・・・明治三十二年二月二日 まち\/ではどうもならん真実から聞けば分かる
四海同胞 四海兄弟と云う事について
御筆先・・・・・六号 一三一
御筆先・・・・・三号 四〇より四三まで
天災地変に付いて
御筆先・・・・・三号 六六より六七迄
御筆先・・・・・三号 九一より一〇〇迄
明治三十七年・・刻限御話
仏教聖典の中に・弥陀成仏の年劫
おさしづ・・・・明治二十一年三月二十三日 人間甘露台建設甘露台一ツ人間定めてある
おさしづ・・・・三十一年七月十四日 甘露台何時の事
御筆先・・・・・九号 四十三より五十迄
御筆先・・・・・十号 七十二より七十八迄
観無量寿経・・・法子汝今清浄にして無上道心を発す
無量寿経・・・・如来の説法の通り
三宝礼
四奉請
新約聖書ルカ伝・第十八章 三十二節・・・・人の子は異邦人に付さる
申命記・・・・・第十六章 九節・・・・汝また七七を計るべし
民数記略・・・・第二十八章 二十六節・・・七七日の後
おさしづ・・・・明治二十年一月十三日・・・四十九年以前から
御筆先・・・・・六号 一二五
御筆先・・・・・四号 四一・・・神一条につかねばならん
御筆先・・・・・十号 七四
御筆先・・・・・十三号 三九
浄土中陰和讃に・七七四十九日の年限道中
観音和讃・・・・三十三に身を分けて苦労の道中
泥海古記・・・・神の打明場所の元なる地場・・・道に出るまでの年限
観無量寿経・・・仏像と真仏
無量寿経・・・・大法雷を振って味覚を覚す
観世音利世記・・大小顕密の掟なり
イザヤ書・・・・第四十二章 十七節・・・偶像に向かって汝等は神なりと云う
マタイ伝・・・・第十六章 二十八節・・・人の子のその国をもて
おさしづ・・・・明治二十一年十一月十三日・・・みな\/一ツ\/のもの分るであろう
御筆先・・・・・四号 四一
御筆先・・・・・一号 五五
ヨハネ伝第一書・五章 一九節・・・全世界は悪しき者に属する
三位一体とは・・三種の神器の理
三位一体の理・・月日入り込みの宮の事
おさしづ・・・・明治二十年一月二十四日・・・月日ありて此の世界あり
おさしづ・・・・明治二十二年八月二十一日・・・神一条世界一ツの道
おさしづ・・・・明治二十二年九月十七日・・・神一条の道にしてしまう
明治二十二年十月二十三日・・・神一条と云う道を立てにやならん
仏説無量寿経・・聖道門の教法は追々に滅びてしまう
おさしづ・・・・明治二十一年七月三十一日・・・元一ツ始めるは女一人
おさしづ・・・・明治二十一年七月十一日・・・神一条の道聞き分けてくれ
おさしづ・・・・明治四十年四月十四日・・・年限の中始めかけた道刻限
天理教と神一条との区別
仏法僧・・・・・神仏一体
南無阿弥陀仏・・人物引き出し
第三輪玉手箱
仏説無量寿経・・如来の説法
御筆先・・・・・一号 七十・・・神の仲保
テモテ前書・・・第二章 五節・・・神は唯一なり
申命記・・・・・二十五章・・・・・穀物をこなす牛
御筆先・・・・・四号 十八
御筆先・・・・・四号 八十
おさしづ・・・・明治二十年五月九日・・・刻限のお話
南無阿弥陀仏・・五ツ結び込んだる理・・・方位と神の姿
御筆先・・・六号 一三一・・体内へ宿し込むのも月日なら生まれ出すのも月日世話どり
御筆先・・・・・八号 六三より九六まで
桃栗三年とさいころの意味・・・・・・
御筆先・・・・・四号 五十
御筆先・・・・・八号 三七
御筆先・・・・・  十五号 四一 年限
御筆先・・・・・四号 十八
御筆先・・・・・二号 十六・・・神の打明場所
御筆先・・・・・三号 六八 神学古記の事
天理教と神一条との証拠の御指図・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・一〇三
                            妙真珠よりその2へ続く
 

何時から原典通りされるのでしょうか?

 投稿者:安達  投稿日:2007年 6月26日(火)16時49分28秒
   この様にお伝えしても中々理解出来ない様ですね。ひとすじ心で思案すれば誰でも分か

って頂けると思いますが如何でしょう。学校は沢山出来ましたが真実が伝えられています

か? このまま行けば月日容赦はしないそうですから早く聞き分けないと大変な事に成る

のでは? 明治四十年四月七日旧暦二月二十五日 午前二時半 会計の處一ツにと申上

前略 さあ さあ さあ 学校 みたいな ものはどこにも   たくさんあるで これ みなよん

どころなく、情にながれてきた。 情流れていてはぶうつぶしてしまふのも同じ事(神様の

思惑(おもわく)を)かへつて末のものほどわかつている。後略(末端信者の方が神様の

思惑が分かっている。天理教本部の教えは見てくれは良いが教祖の教えと違うこと)

この様に大神様が仰せ有ります。教え通り真実を教え実行しなければ成らないと思います。
 

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