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ありがとうございます。

 投稿者:  投稿日:2009年 2月12日(木)15時19分53秒
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  なるほど、詳細は判りました。
教祖がお筆先の執筆にあたったのは明治2年からで、参ってきた来た人々に誰彼と無く「おふでさきを」読むことを勧められ、あらゆる人々が「筆写」し、更にその筆先を転写して重要な教義書として用いたところ、警官に没収されることを防ぐ為に償却したとして秘密裡に保存したという事件「稿本 天理教教祖伝」抜粋。以降は「天理教事典」より抜粋。
この事件後、公式にお筆先の存在を明らかに出来ず、一般の目に触れることも無く続き、既に筆写したものを神言として拝読しながら明治41年の一派独立まで続いた。独立後、いわゆる教内書が続々と刊行されその中に、「私刊のお筆先」が部内教会から刊行されようとしたが、根本が教会本部に保存されている「正冊」に忠実ではないことと、お筆先は焼却されてしまったのだという建前から、破棄された。ところが、大正時代になって、天理教の教義を自由に研究しようという気運がでてきて、大正5年(1916)以降、種々のお筆先本文及び注釈の研究が出版されるようになった。
しかし、これらはいずれも私刊本であり。現在の立場から眺めて、お筆先研究の参考になるとしても、その多くは「おふでさき」を活字にして一般に公開し、誰でも拝読できるようにしようということが主たる目的であった。
大正14年、天理教教義及史料集成部が創立され、教内に教義書の刊行問題が具体的に進められる中、信者の中に誤った原典解釈が流布する危険が出てきたため、「おふでさき」とその釈義書の早急な出版が要請され、昭和3年(1928)に注釈付きの本文「おふでさき」が初めて公刊された。それとともに「おふでさき索引」も出版された。
引用ココまで。

要は、天理教本部に保存されているものが「正冊」という名称であり、教祖の手元にある原本を写して信者に与えられたものは「外冊」という名称になっています。しかも、「外冊」には「正冊」にないお歌があり、これは号外と呼ばれると(「稿本天理教教祖伝」121頁参照。)いうことだそうです。
御教団が蔵書されておられる「おふでさき」について、上記の引用を用いた場合、「外冊」の内容であることが推測できますが如何でしょうか。
 
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