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再度、おさしづの拝読と研究をお勧めします。

 投稿者:安達  投稿日:2017年 8月17日(木)14時44分28秒
  おさしづの拝読と研究をお勧めします。 投稿者:梅一厘・安達 投稿日:2002/06/13(Thu) 15:37:51 No.4 [返信]  神一条ホームページ掲示板資料2から

      おさしづの拝読と研究をお勧めします。
明治二十二年三月二十一日午後5時(M22・3・21)と示します。道さえ分かりさえすれば、不自由でけん。これ皆筆に知らしたる處、紙に書いたものを持って居てさえ分かりゃせんから、一

度や二度で聞いたとて分からん筈や。皆々互い\/に研究して日々運べば、取次の古き道の理
と、又世界の道理の理と諭せば、神の働きどんな働きをするや知れで。今迄にも面目無い事が、

何遍もあったで、分からんも一つのひながた、分からんひながたは要らんというようなものや。なれど分からにゃ仕様が無い。

(M22・10・7)さしづ無くしていかなる道も通れるか、通れんか。
 おふでさき 四号105 だん\/と見えん事をばゆてをいて 先で見えたらこれが神やで

(M25・2・18)さしづの理はたった一つの理を諭してある。なれど分かりゃせん。理のさしづには違わんという理を取らにゃならん。身上に事情と言えど事情による。

(M22・10・25)さしづ通りすれば間違う事は無い。
(M22・11・6)刻限の理というは、違うという事は一つも無い。どんな事もこんな事も一つの理に止まる。

(M23・11・21)義理やと言うて、さしづより外に一つの道も無い。
(M23・6・20) 人間の義理に尋ねるなら要らん事。さしづを外せば尋ねるまでやない。

(M23・11・23)さしづという、をやの代わり、をやの代理という理。
(M24・2・8) 前々さしづ、一寸まあ反故同様のもの、それをほって置いては何よの諭も出来ようまい。

(M24・7・28) 神が許してこうという理は一つも用いてない。互い\/理を崩し、日々の処さしづとも言うまい。神一条さしづより外の道を通る者は分けて了まえ。

(M24・11・25) 互い\/知らし合い、互い\/研究諭し合い道という。
(M27・1・25) さしづ一つの理に集めるなら、どんな事でも集まる。

(M27・6・17) 何ぼさしづ貰うてもさしづをくる\/丸めて何もならん。
(M28・5・5) さしづは神がするのや。人間の理を以て諭するやないで。

(M28・5・22)夜も寝られん程会議しても(さしづ通り)用いねばどうもならん。 刻限は旬を外さんための刻限。
(M29・3・21)十年後一つの理、分からんから、さしづは邪魔になる。・・・腐りたさしづも起きて来る日があろ。

(M29・3・24)人間と人間とどうこう言うならさしづは要らんものや。
(M30・1・13) 用いる者が無いから、身上さしづにも刻限ちょい\/混ぜたる。

(M29・3・24) もうさしづ止めようかと思うて居る。用いんさしづなら、したとて何の役にも立とまい。さしづは人間心ですると思う心が違う。心が合わんから疑わんならん。

(M30・2・25) さしづというはこれまであれこれさしづしてある。なれど反故同様。一つ緩む二つ緩む。だん\/世界聞き分け。相当なるさしづ選り分けてくれ。選り分けてくれ。だん\

/それこれ選り集めるなら、一つ理から自由(じゆうよう)とさしづして置こう。
(M32・9・7)道という理、さしづあって道、道あってさしづ。

(M32・12・29)さしづこうやけど、どうもなあ、と言うようでは天の理に背く、教祖一つの理にも背く。
(M33・12・17) さしづを棚の上にのせてあるというようなことではどうもならんで・・・棚

の上にのせてある間は見ていられるなれど、尻に敷くというようでは何を思うての道か 何を聞いての道か 何を楽しんでの道か さあ心にはまらにや尋ねかやせ

(M28・5・22)刻限いつともわからん筆に止めた理より便りにさへすれば何も云(い)う事はないなれど刻限のさしづくる\/まいておいてしまい紙の色のかわるほど ほっておいてはどうもならん
(M30・1・3)勝手の悪い事は底のけである
(M33・10・14)席々(二代本席)というて出て来る、皆連れてもどる連れて帰る・・・このさ

しづ早くしてある勝手の悪いもの取り消してない 皆筆に止めたる皆一つに寄せてくれ頼むと迄出てある まあ\/よいわ\/ではならん、つけかけた道はどうでも、こうでもつけにゃならん、な

れど小首傾け思案せにゃならん様な事ではどうもならんたよりないやうな事ではどうもならん、よふ聞き分け、何も遠慮気嫌はいらん 高い低いはありゃせん 道と云ふ一ツである 一(御教祖

様)からの理なら十人なら十人知っているは道なれど 十人の中に三人位知っていると云ふは神の道ではない それでは神の道どこにあるか よふきゝ分け せいでもよい事に元を入れ 元を入れ二

人三人の中でかくしておかにゃならんことでは八方道がどう伝へるかよう聞き分け何んぼかくしたかてかくされやせん(神は見抜き見通し)かくして世界八方伝える事でけん 世界から出けて

こん 神の道は反対ない 反対は道の中にある よふきき分けよ
(M40・3・13) さあ \/みなもちいるか\/用いるかもちいねば世界どうしてわびするか

\/ \/これしっているか年限かぞへてみよ\/いつまでこんな事とほるか、道はみんなつぎめあるで(道の継ぎ目とは雛型の道、道理上の道、応法の道、神一条の道の事です、三段事情と

は雛型の道、道理上の道、神一条の道の事です)\/つぎめしっているか \/ しらずになんとぼけている\/(雛型の道は御教祖様、道理上の道は初代本席様、応法の道とは今の天理教、

ほんみち)十一号 20 皆の者思う心は気の毒や この度所かえて話をと仰せの通り神一条の道に変わったのです)みんなとりぞこなひしている \/ 教祖といふ道内からつぶしている世界

の道でたってあるか\/学問で立つとおもふか さあ\/\/世界のきかひは何時なりとある何時なりとかへるで神のきかひあるか ありやしよまい(天啓者甘露台)神のきかひは年限の理つ

づくが神のきかひである。これ一時にききわけてけふ(きょう)に返事してこい (神一条に)
(M29・4・21) 反対するのも可愛い我が子、念ずる者(信仰者)はなおの事、なれど念ずる

者でも用いねば(おさしづを)反対同様のもの、これまでほんの言葉々々でさしづしてある。これはというようなものはさしづがさしづやないと言う。世界の反対は言うまでやない。

道の中の反対、道の中の反対は、肥をする處を流してしまうようなものこんな處にこんな事があったかと、鮮やか分かる程に\/必ず\/悔やむやない。悔やむだけ心をつなげ。

(M23・11・21)出てさしづ、又出て聞かし又々さしづ通りの道やなければ通れん、かわらん\/同じ心に同じ諭し、いつ\/まで長い様でもそれ一つの事情、どんな事情ともはかりがたな

い、そこで、出て聞かし置かねばならん、何をしたのやと騒ぎ立てる様な事ではどんならん聞かした處が分からん。
(M33・1・4)多くの處いろ\/理以て防がにゃならん \/ 。無い道始め掛ける。怖いような事は無い。怖いような心で、末代という道通れん。百年先の道、今日始めるも同じ事。この心

持って、臨機応変と諭したる。萬人の中一人以て(人間甘露台)防ぐは神の力、神の理。

(M33・9・9)(陰暦八月十六日)夜九時頃(明治三十三年は西暦1900年でした)
 刻 限(本席の御身上前日より大變御障りの處へ刻限の御話あり、本部員一 同拝聴す)

 何時どういう事出来るとも、見にゃならんとも分からん。 どういう峠越さにゃならんとも分からん。明日日どういう事見にゃならんやら分からん日になりたる。これまで年限長いと皆諭

(さと)したる。よう思案してみよ。先の事知らしてある。後や先になる。皆一つ一つ調べてみよ。嘘(うそ)はありゃせん。皆先の事言うたる。言うて置いた事は、年限の内にはどうでも出

て来る見えて来る。どうでも先きの事いうて置いたら、その日が来る。百年の先の事言うて置けば、三十五十の者は知ろまい。なれど、どうでも出て来る。これよう聞き分け。元の話しはこの

くれいのもの。よう聞き分け。 これからという、これから嘘(うそ)は一つも無い、という事思案せ。嘘というは何も旨(うま)い事はあろまい。真実というは、真実見えて来る。嘘と思う

たら嘘になる。誠思えば誠出て来る。そら遠い所やない。内に出たる。傍(はた)の者も、一名二名に巻かれて居た。三年四年は自由自在にして蔓(はびこ)られた。一言も返やした者はあろ

まい。神の道に嘘は無い。嘘に旨(うま)いものは無い。勇んでくる。嘘やない。結構臺(だい)である。これだけ諭したら何ぼ書物に出そうとまヽや。書物を起そとまヽや。さあ さあもう

一言 一言 言うて置く。  あの者偉い者、偉い者が捜して来る。尋ねに来る。捜して来る者より、もう一つ偉い者でなくば、捜して来ん。元は捉(つか)まえどこ無いような者、なれど、一

言説いたら、百巻の書物に出来る。 日本に数無い偉い者出て来る、捜(さが)して来るとも分からん。これだけ説いたら分かるやろう・・・・これ聞き分けて、皆々の心、真実という心、十分

真実欲しい。これまで真実やこさり(こそありや)、あちらこちら苦しみの中に、道を拵(こしら)えて来たる。真実鮮(あざ)やか話、もうどうなろうと言うとても、遠い所からやいやいと

言う所から、通りての道、もう十のものなら七つまで出けた。・・・これしっかり聞いて楽しめ。よう聞き分け。嘘に旨いものありゃせん ありゃせん。嘘程恐ろしいものは無い。なれど、

真実程結構は無い。楽しみこの意味、何程結構とも分からん。もう明日日々々々、世上から待って居る。なれど、今の間に、何と、どういう話あるや知れんと、良い事ばかり待って居る。なれ

ど、戴けん時にはならん。もう年取れた者、一戸の中から一夜風邪引いても医者に掛かり、神信心もせにゃいかんと言う。この道という、道に理がありゃやこそ。・・・・今夜の話これも一筆

留めて置かにゃならん。年限の内には、國々作物取れん事もある。あちらも取れんという事聞くも同じ事。年限の内、これも一寸聞いて置かにゃならん。明日日は我が所という。遠い所は分か

らん。蔭から話聞いた。席始まりてない 始まりてないという事、あちらこちらへ聞こえたら、大変困難やで。どうなりと又々話風変え、品変え、にんにんあるによって満足与えにゃならん。

人変わりても満足渡す。一年で帰るとも二年で帰るとも、分からん分からん。よう聞き分け。・・・・そのまヽ、三つ四つ言葉。これ崩(くず)したら、何程の書籍になるとも分から

ん。もう後や先になるけれど、ちゃんと綴りて置け 綴りて置け。と仰せ有りました。

明治三十三年は西暦1900年です、私達、人間の目から見れば百年は平成十二年に成ります。
昭和十二年は天理教立教百年祭でした。 神一条教人間甘露台親様は四十九才でした。

昭和十三年は満百年に成ります。神一条教人間甘露台親様は五十才でした。このおさしづが出た明治三十三年から百年は平成十二年です。

満で平成十三年に成ります。このご自由用というは神でのうて出来ようまいと言う事だそうです。根を掘るとまだ\/深く成程なと気が付きますが、聞きたくば訪ね来るなら云て聞かそうよ

ろづ委細の元の因縁と言う事にします。  一体何が出て来るのか。 まいたる種は皆はえる。善悪共に生える。 うそを言えばうそになる真実を知って下さい。調べて下さい。もううそは通

りません。神一条でこれ我がことです。 他人事ではありません。このままうそを通すと下の御筆先の歌の通りになると思われます。
     この12号の歌は要注意の歌と思われます。
111 いまヽではどのよなうそもきいてゐた もふこれからはうそはきかんで
112 これからはうそをゆふたらそのものが うそになるのもこれがしよちか

113 月日にはうそとついしよこれきらい そのさきなるは月日しりぞく
114 それゆへに一日なりとひをのばし たいてへなにもみゆるしていた

115 このたびははやくしよこふだしたいと ゆうてゐるのをなんとおもうぞ
116 しよこふもどふいふ事におもうかな  みのうちよりもたしかためしを

117 このためしまこと月日のざんねんは よいなる事でないとをもへよ

月日大神様がしりぞけばどう言う現象が起きるか知って居られますね。他人事ではないです。いい加減大神様も堪忍袋が切れるのではないでしょうか。今度は助けより残念晴らしが先と仰せあ

ります。おふでさき、おさしづに書き残されている事が無視されております。早く気ずい
て下さい。月日大神様のご残念で大掃除される前にしっかり研究させて頂きましょう。

御筆先 九号 50 月日よりさしづばかりでした事を これとめたなら我が身とまるで
四号41 あす日は何でも頼みかけるでな 神一条につかねばならん

97 これまでと道がかわるとゆふてある 神はちがふた事はゆわんで
105だんだんとみえん事をばゆいをいてさきでみえたらこれが神やで

106 いかほどにみえたる事をいふたとて さきでみえねばわかりあるまい
112 このたびは何かよろづを上たるへ知らしておいた事であるなら

113 それからは中には思案するもあり  皆よりよふて話したなら
114 その中に真実心たのもしい おもてしやんするものもある

6号95 どのよふな事もうらみにおもうなよ 皆めへめへのみうらみである
12号39どのよふな事でもさきへしらしおく あとでこふかいなきよふにせよ

11号 20 皆の者思う心は気の毒や  この度所かえて話しを
(M20・6・24)ふでさき通り皆出る。今度道はいつどう、いつ見える。ふでさき皆知らせてあ

る。大きなふし見える。 甘露台は木や石は記念碑で寸法は人間甘露台の年限道中、みかぐらうた、御筆先、泥海古記、おさしづは一貫して甘露台は人間である事が分からなければ理解

が出来ません。国の本尊として中宮に奉り甘露台授けづとめを勤める事になっています。世界第一の参り場所に成るそうです。元治元年本席夫婦が初参りされた時から神一条の支ご拵えとして

神一条の道が始まりました。明治二十年からしばらく休まれ(道理上の道、応法の道)、
昭和十七年から神一条の道は始まったのです。それが、泥海古記です。十億年前の話しではあり

ません。山城、伊賀、河内は先を見込んで甘露台親様の道中を示されたものです。現に神一条教本部は河内の布施三の瀬にあります。ここから始まったから紋形無い所から始まったと仰せ有り

ます。今回はこの辺で大和里にします。有り難う御座いました。
                         合 掌

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新年の挨拶

 投稿者:神一条教本部  投稿日:2017年 1月 1日(日)18時48分32秒
  謹んで初春を迎えお喜び申し上げます。

今年も災害に遭いません様・大難は小難に小難は無難に治めて頂ける様
元の神・実の神を踏み止め縋っていきましょう!
お陰様で神一条の信仰者一同は災害に遭う事も無く安心立命に通して頂いて居ます!!!
有り難いですね。今年も幸せに楽しい日々で有ります様に願って居ます!

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Re:その見切りをつけられた最初の事件?が分かりません。

 投稿者:安達  投稿日:2016年 7月28日(木)15時12分33秒
  そうですね!長くなりますので1864年・元治元年の出来事を天理教本部か大教会・分教会に行かれて詳細の話を聞かれた方が早いと思われます!結論はその事件でみんな信仰を止めてしまい本席夫婦しか残らず本席夫婦が勤め場所を完成させたのです!本席夫婦とは飯降伊蔵様とおさと様です!棟上げ式のお祝いの時、帯を酒に替えてお供えさてた方がおさと様でした!この時点で青写真が設計図面が引かれました。宜しくご理解下さい。お願い致します。

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初心者にわかるようにお願いします。

 投稿者:mama  投稿日:2016年 7月28日(木)08時34分38秒
  最初の最初の最初がわからないのです。
おやさまは道を始められて途中からもう「見切り」をつけられたのですね?

その見切りをつけられた最初の事件?が分かりません。
 

Re:親の代から間違った教え

 投稿者:安達  投稿日:2016年 7月27日(水)20時51分21秒
  有難う御座いました!
『お筆先でいうと何号のいくつのところでしょうか?』
お筆先6号52の歌です!
いざなぎといざなみとが一の神 これでしよこの大神宮なり  でありませんか???
いざなぎいといざなみいを天と言います!天とは二人と書きます。大神宮が理です。

月日大神様の入り込みの宮  月日入り込みの社が中山みき様(御教祖)

大神宮と社は一体です。社は宮の中に納まっています!大神宮に月日大神様が入り込んでいると言う事です!

天理王の命は天命令で王は3つを1つにする。水(父)キリスト、火(母)天理、風(子供=真仏)仏教を3つを1つにするのが天命令と言う事です!お分かり頂けますか?天理王命はお題目です!天の命令が伏せられています!親里はお里様が親でお里様が3つを1つにしますが理です!元治元年の出来事が分かれば成る程な~~!と理解出来ます!宜しくご理解下さい!

有難う御座いました。長くなるのでここで置いておきます!ご免なさい!

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親の代から間違った教え

 投稿者:mama  投稿日:2016年 7月27日(水)19時56分16秒
  ありがとうございました。
親の代から間違った教えを受けていたなんて子供(私)に分かるわけがないです。

しつこいようですが、「親神様」「おやさま」と唱えては、いけないのですか?

昨日まで長いこと「親神様」「おやさま」と唱えていましたのに今日から「南無天照皇大神宮」と唱えよと言われても違和感がありすぎます。
すぐにはムリだと思います。

「おやさま」が本部?に見切りをつけて新しく「正しい教え」を説くしかないと思われたのは、お筆先でいうと何号のいくつのところでしょうか?
 

Re:他にも理解出来ないことが多々あります。ご指導下さい。

 投稿者:安達  投稿日:2016年 7月21日(木)20時20分53秒
  『他にも理解出来ないことが多々あります。ご指導下さい。』御役に立てるか疑問ですが???
①柏手は天理教では4つでしたが、なぜ5つなのでしょうか?
五拍手は日、月、風、繋ぎ、突っ張りと言う事です!なむあみだと言う事ですね!

神様がそう決められたのでしょうか?
はい!大御神様(月日大神様)が決めれたのです!

①「唱え間違いのないように」と、どこかにあったような気が致しますが、教えて下さい。
(なむあまてらすこうたいじんぐう)(なむあまてらすかんろだい・なむかんろだい)と唱えます。

②「親神様」「御教祖様」ではいけないのでしょうか?ついいつもの習慣で出てしまいます。そうでないと心が落ち着かないのです。
「親神様」は甘露台親様を助け一条の親神様と言います。

「御教祖様」ごきょうそさまと呼び中山みき様の事です!

③甘露台親様の遺された「おさしづ」は存在するのでしょうか?
はい、御座います!

蛇足:天理教が注連縄を付けないのは注連縄とは戒めの縄の事です。
天理教は神様の戒めを守らないと言う事です!

四垂れは白色の奉書製で世直しと言う事です。
天理教は世直しが出来ません!しません!
ですから注連縄を付けません!付けられません!

人間の勝手気ままを幹部様の都合の良い教えを伝えざるを得ません!気の毒にね~!注意・これはあくまでも私的見解ですよ! 有難う御座いました。

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ありがとうございました。

 投稿者:mama  投稿日:2016年 7月21日(木)08時36分44秒
編集済
  他にも理解出来ないことが多々あります。ご指導下さい。 ①柏手は天理教では4つでしたが、なぜ5つなのでしょうか?神様がそう決められたのでしょうか?
②「唱え間違いのないように」と、どこかにあったような気が致しますが、教えて下さい。③「親神様」「御教祖様」ではいけないのでしょうか?ついいつもの習慣で出てしまいます。そうでないと心が落ち着かないのです。④甘露台親様の遺された「おさしづ」は存在するのでしょうか?
 

Re:「やぶってしまえ」

 投稿者:安達  投稿日:2016年 7月14日(木)16時03分38秒
  どう致しまして!『『これからは呼名も変えて場所も変える』』今おさしづを確認して居ます!
明治31円10月1日(P240・P3106)一行に名を変える事情通りで事情鮮やかと言えん。と有ります。検索中です!
明治26年3月18日お里様は出直されました。その前に明治22年8月3日旧暦7月7日土用丑(織り姫・糸繰り姫)としてお里様は京都の西陣に再生されています。名前はくに様です。御教祖(中山みき様)昇天後三年後です。甘露台三下がりの一下り目の3ッに証拠が有ります。聖書では三日目に甦ると仰せありました!確かな証拠です。このご自由用というは神でのうて出来ようまいと仰せあります!お里様はこの間身上勝ちでした!(京都と奈良)甘露台親様はこの頃からお助けをされて居ます!

しまい一つは破ってしまえ~~!神様の思惑通りしなかったら(甘露台親様を踏み止め出来なかったら)天理教を切り捨てても良いと言う事でしょう!

宜しくご理解下さい!

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お里様

 投稿者:mama  投稿日:2016年 7月14日(木)11時44分41秒
  お返事ありがとうございます。
そのおさしづの「やぶってしまえ」とは解釈がわかりません。お願いします。  それから

玉水仙さまはお里様の生まれ変わりとありました?がお里様は年表で、玉水仙さま5歳のときに昇天されています…?
 

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